お正月休みに読もうと楽しみにしていた本、文章が気持ち悪くて2ページで挫折してしまいました。テーマと写真に興味があって、文章を吟味せずに手にしたことを反省。
知りたいことや興味をひく事柄を書いている本やSNSの文章が私にとって気持ち悪い部類だった場合、あきらめてその場を離れてしまったことが、何度もありました。
一方で、署名のない雑誌の記事に、ため息が出るほど感嘆することもある。友達がSNSに投稿した、彼らが見た景色や普段のことを飾らない言葉でつづる文章に、涙が出ることも。
2024年も、書くことを忘れずにいたいです。
(誰かに気持ち悪いと思われないように)を気にして、自分の書いたものを添削しようとは思いません。ビクビクはしない。でも、考える。書く対象を見せびらかすためなのか。少なくとも好感や愛情から、友達や知らない誰かにも伝わるようにと願いがこもっているか。
好きだと思えることを喜びたい。何を気持ち悪いと感じるかも、忘れない。
2020年の初夏、コロナの頃台北で書いた文章を転載します。
この時にコラムを書くきっかけになったバトンって、なんだったか。4年前の流行を思い出すのに数秒考えました。これは4年たっても、何年たってもたぶん変わらないと思うので、年の初めに置いておきます。
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こんな時期なのでSNS活動が通常よりも活発になっている。
昨日は「バトン疲れ」というニュースがあがっていた。
芸能人や著名人が、回ってくる「バトン」のお題目に合わせた投稿を断ったというもの。
気心の知れた友達なら「ごめん」と断れても、「知り合い」だと言いにくい。まして先輩やお世話になった人なら、なおさらそういうこともあるだろう。
(バトンは気持ち悪い)と私は感じていた。特に、自分が読んだ書物を紹介するバトン。自分の本棚を人に見せるのは、下着の棚を開け放つのと同じくらい、慎みのない行為だと私は思っているので、作家でも、評論家でもない「一般人の知り合い」がそれをやっているのを見るとぎょっとする。
感覚の違い。それが「気持ち悪い」につながるのだろうか。
でも友達なら、言葉遣いが妙だなと感じても、それがきっかけで嫌いになることは無い。たとえば句読点を「。。。。」と連打する人。何とも思わないこともある。「気持ち悪い」と感じる相手には、もとから好感を持っていなかった。
なぜ「気持ち悪い」と感じるのだろう。そもそも、気持ち悪いってなんだろう。関西出身の友人や知人が、エセ関西弁を気持ち悪いという。ニセモノなのに、間違っていることを「面白いでしょう?」「私/俺って、楽しいでしょう?」と押し付けられる感覚だろうか。私は関西の人がぎこちなく「東京っぽい話し方」をすると、笑ってしまう。いやだ、気持ち悪いとは思わない。可愛いらしく、面白いと感じる。
「ニセモノ、間違っているのに図々しくて、面白みもない」のが、私が「気持ち悪い」と感じるひとつの目安なのか。エセ関西弁を聴いた時のように。
SNSの投稿で、最後にいつも同じことを書く人がいる。たとえて言うと、文章の内容にかかわらず、投稿の最後には必ず「ルンルン♬」で閉めるような。
年齢にそぐわない、内容にも関係ない「ルンルン♬」は、意味が分からない。目にするとちょっと寒気がして「気持ち悪い」と感じる。それでも、その人の投稿に「素敵です」「さすがです」とむらがる人たちは少なくない。内容を読んでいないことはあきらかで、教えてくださいと質問も多い。いいねの数で、質は量れない。前向きなことばすら偽善に見える。前向きないいねが偽りに見えてしまう。自分がひねくれているのかなと思う。角を立てるのも、おべっかつかうのも面倒だから、見ないようにする。
面白いでしょう?楽しいでしょう?素敵でしょう?
それを「押し付け」「偽物」「軽薄」と感じる時に、気持ち悪いと感じるのだろうか。
気持ち悪いけれど自分を納得させる理由は見つかったから、いちいち指摘はしない案件
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