香港のニュースは毎日見る。日本、台湾と一緒に欠かさず確認している。
日本で仕事納めだった今日、香港のニュースライナーに載っていた出来事のいくつかを、書き留めておこうと思った。
1.独立系書店のイベントまわりに大勢の巡回
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独立系の書店でイベントを開催したところ、店が巡回さんに取り囲まれたのだそう。
以前、別の書店でも変な人たちに邪魔をされて中止になったイベントがあったとニュースで読んだ。
本を読んだけなのにお巡りさんややさぐれの物言いが来るなんて、何十年も前の出来事、決して繰り返されてはならない出来事と、映画や本、人の話で知って、記憶と胸に刻んでいる。 これが現代の、まさに今日の出来事だなんて、自分かかつて愛して暮らした街で起きていることだなんて。
2.1988年から2023年までの日本国籍入境者
クリスマス休暇の香港出入境人数の話題。毎年、休暇のたびにニュースにはなっていたけれど、数字に聞き耳を立てたことはなかった。今日は思い立ち、日本人の観光客数どうなっているのか調べてみた。
1997年から2010年、旅行会社は息つく間もなかった。団体を扱っていた同僚たちは、毎晩遅くまで残業していた。香港支店はアジアで一番儲かっていた。私たちも荒くれ者状態で、本社や北京、シンガポールが何を言ってこようと、まるで恐れなかった。お客様も友達も、香港に遊びに来る人たちはイキイキ、ギラギラしていた。私たちみんな、一生懸命働いた。香港の旅行業、あの頃はやりがいがあった。
観光協会の統計はここ最近だけで、全盛期の数字を隠しているように思う。比較されないために。探したら、2003年10月の香港政府の統計資料が出てきた。
香港を訪れた日本国籍観光客の推移を、いくつかの資料からまとめてみると
1988年:1,240,000
1989年:1,176,000
1990年:1,332,000
1991年:1,260,000
1992年:1,324,000
1993年:1,281,000
1994年:1,441,000
1995年:1,691,000
1996年:2,383,000 香港返還前に大ブーム来た
1997年:1,369,000 返還前後はしーんとした、ほかはそれなりに
1998年:1,101,000 ブームの反動で落ち着く
1999年:1,174,000 盛り返す
2000年:1,382,000 盛り上げる
2001年:1,337,000 安定の人気
2002年:1,395,000 盛り上がり続ける
2003年:SARS発生
※1996年は返還前の香港ブームで異常値だったものの、1988年から2002年まで、年間のべ100万人以上の日本国籍者が香港を訪れていた。
2018年:852,192
2019年:660,883 デモ活動が活発になる
2020年:50,320 コロナ発生
2021年:346
2022年:7,316
2023年:346,389
※台湾を訪れた日本国籍観光客のグラフ1980~2023年
香港の資料は探しにくかったけれど、台湾を訪れる日本人観光客の数は、交通部觀光署のサイトでとても分かりやすいグラフをすぐに見ることができた。
歷年來臺旅客按國籍分 Visitor Arrivals by Nationality
民国69年(1980年)~112年(2023年)まで、日本国籍の台湾来訪者はオレンジのライン。民国100年、2011年から大きく増加している。
震災の時の、台湾のひとたちの支援にお礼をしたいと来てくれる観光客は増えた。あの頃から、刺激よりも穏やかさ、優しさ、懐かしさが旅に求められたかもしれない。
私が香港から台湾へ移り住んだのは2010年。私の周りの友人達、香港に通い詰めていた人たちもこぞって台湾へ方向転換してきていた。
香港一筋、筋金入りの極道なタイプも、なかにはいるけれど。
コロナ禍を経て、円安のなか80年代以下の水準になってしまったものの、それでも2023年にはあと少しで100万人、というところまで急カーブを描いている。
香港の34万人が、いかに少ないか。
台湾の支店が忙しく拡大していくのと反比例するように、香港の支店は縮小・移転した。香港にいた時も、台湾に移ってからも信頼していた仕事のできるひとたちもみな、去っていってしまった…。
それにしても、台湾の交通部観光署の資料が見やすく整っていることに驚いた。ITに強いとはいっても、ここまでわかりやすく欲しい資料がパン!と出てくるとは。
香港のデータは、詳細には出てこない。選べる年度は2013年から。過去との比較をされることを避けて、出さなようにしているのだろか。
3.マーティン・リー氏の太平紳士のタイトルを政府が撤回
李柱銘遭港府撤銷太平紳士身分 1980 年獲委任至今 44 年|Yahoo
日本では耳慣れない、太平紳士という肩書。香港でテレビを見ていたり、イベントがあると「誰それ太平紳士」と紹介される場面がよくあった。今でも私はよくわかっていないけれど、李柱銘弁護士の名前はよく耳にした。民主派の弁護士。2019年にアップルデイリーの創業者・李智英氏らと未許可の集会を行った罪に問われている。執行猶予付きの判決が出て、太平紳士の資格を剝奪された。
4.太子の鴻運冰廳が閉店
映画のロケ地にもなった、有名な店。香港の、庶民の食堂。私も何度か行って、奶茶や腿蛋治を食べた。ロケ地だからどうの、老舗だからどうのではなく、近くにいたから食べに行く。そういうお店が閉じてしまう、閉じるときにセンチメンタルなニュースになるなんて、なんでもない毎日の中では思いもしなかった。
ニュースはいろいろあったけれど、ここに一番好きな写真があった。オーナーが着ている白衣の胸ポケットの上に刻まれた、ボールペンの痕。茶餐廳では小さなメモに注文を書きつけて厨房に伝える。忙しくてキャップを付ける暇などないから、ボールペンはそのまま胸元にさす。
香港でのクリスマスは、尖沙咀の文化中心で香港バレエのくるみ割り人形を見てから、半島酒店のロビーで夜のお茶を飲むのが何年か続いた楽しみだった。今年も、文化中心でくるみ割り人形は上演されていたのだそう。
変わっていない、こともあるのだろうか。
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