まず最初に過去や現在の所属、学歴や点数を披露してから語り始めるひとの話は、ちょっと聞けば不細工なパッチワークが見えて来る。肩書をがっちり積み上げている人ほど、そうしたほころびのみすぼらしさが際立つ。完璧な人などいない。でも、得意げな様子を見るのは辛い。いたたまれなくなって、私はそっと目を伏せ耳を閉じ、そうした人から離れていく。
一見「ご立派」で世間的には「すごーい」といわれるような「肩書」を持つ人が「それはこうだから」「欧米ではこうだから」「アジアでは」「台湾では」「香港では」「日本では」と「断言」すると、信じたくなってしまう弱い気持ち。
誰かの言うことを「知らなかった」「世界はそうなんだ」「あの人が言ってた」と信じたくなる気持ち。肩書を持って断言する誰かを信じることで、自分も知恵を得たような、得意に階段を上って行けるような錯覚。
目に見える数、目に見える愚か者よりも、浮かび上がろうとはしない賢者のほうが、世の中には多いと思う。深く考え、浅く浮かれ、人目につかない行動を続けている、良い心持ちの人たち。断言するとしてもそれは静かで、他人の頭にたたきつけるものではなく、その人にとっての善悪や矜持がはっきりしている時。そういう人と、だらだらと、実の無い話をするのが好き。明日になったら何喋ってたか忘れてしまうほど、笑って過ごすのが好きだ。
翌日には忘れてしまった話ほど、私にはそれからしばらくして、響いてくることがある。でも、話した相手は、私に種をまいてくれたことなど少しも知らずにいる。
当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用、まとめサイトへの転載も固くお断りします。
Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited.
本站內所有图文请勿转载.未经许可不得转载使用,违者必究.