「いただく」「いただいて」は不定期に持ち上がる議論のネタで、「使いすぎはおかしい」という人もいれば、丁寧に話しているつもりだったと打ちひしがれる人もいる。
「いただいて」「していただき」「させていただく」の羅列、説明の意図が読めない文章を別の部署から寄越されて
「いただく、させていただくを全て他の書き方へ、簡潔に変えてみてください」
と返却すると、すっきりした分かりやすい文章に垢ぬけて戻って来たことがある。いただく、いただく、「丁寧なアタシ」が前面に出るばかりで、読み手に伝えるべきことがこんがらがるよりも、簡潔であること。読み手にすんなり理解されるのが、本当の意味で丁寧な文章だと思う。
先日NHKの番組で、若いタレントが司会者に
「紅白さんに出させていただいて」
と話しているのを聞いた時は、顎が外れそうになった。
企業や公的機関にさんづけ(都庁さん、領事館さんという人に遭遇した)には気色が悪いと思うものの、そういう気遣いの時代なのかとあきらめていた。
しかし、いくら歴史が長くタレントにとっては重いものとはいえ、「紅白歌合戦」にさんとは……
この場合の「いただいて」は、「NHKさん」に「選んでいただいた」感謝の気持ちなのだろう。あのタレントの女性と話していた相手は、NHKの人だった。彼女は番組を見ているファンや視聴者に聴かせる話ではなく、NHKの人へのへりくだりだけを表したのだろう……。
「お仕事させていただいて」も、私はひっかかる。
「自分の仕事をお仕事とは、何事か」と昭和の頃に作家のお爺さんが嘆いていたのが、強く印象に残っているせい。なぜか子供心に刷り込まれてしまい、自分の仕事を「お仕事」「させていただく」という発想が、私には芽生えなかった。仕事はするもので、「お」じゃねえし、そんなにへりくだるものでもない。仕事は淡々と胸を開いてしたい。
それが尾をひき、好きになった俳優が「お仕事させていただいて」と言うのを聞いて「あっ」とたじろぎ、彼の「お仕事」に興味がなくなってしまった。
言葉遣いを他人に聞きとがめられるのを恐れて、逃げ道も確保して「丁寧に」喋っているつもり。でも、頑張って話している人の揚げ足を取るのは、正しい言葉遣い云々とは別の次元で、意地が悪いと思う。
「あっ」と思うだけ。
その言葉遣いで相手を軽蔑したり、嫌いになったりしない。
そんなことより、その人が相手に向き合って話しているかどうかのほうが重要だと思う。
言葉遣いに「?」となっても、その人にはきっと面白くて美しい心持ちや、柔らかくてしっかりした信念があるのだから。ひとの言葉遣いに惹かれることもあるし、心持ちの在り方や振る舞い、醸し出す空気や匂い、眼つきや笑い方、黙っている時の様子にも、私は心を動かされる。「いただく」「いただきます」は、全然重要ではない。「あっ」と思うけど、そこに引っかかっている時間が勿体ない。
でも「紅白さんに出させていただいて」はいくらなんでも、周りの大人が直してあげてほしい。
彼女はテレビ番組の中でNHKの人に対して忖度の喋りかたをしていて、意識が視聴者の方には向いていなかった。
揚げ足を取られるのを恐れ、笑顔で奇妙な話し方をし続けるのは痛々しい。
事務所の人でもNHKのエライ人でもいい、さらっと恥をかかせないように、直してあげられる大人が言葉を楽しみ取り入れて操る若者のそばにいてほしい。
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