彼女は日本人だとか日本人に見えないとか、私自身が日本を出て他国で暮らすようになってから他人に色々言われるようになり、びっくりしたり笑ったりしてきました。今は
「いろんな見え方、見る人それぞれの経験値や考え方から持つフィルターがあるんだな」
と考えています。
サッカーを観るようになって、国家代表に選ばれた人のバックグラウンドや取り巻く事柄を少し知ると、プレーやプライベートでご本人に余計なプレッシャーがかからないことを願わずにはいられない。この件について詳しく語ることは難しいから、大好きなスポーツブロガー、私がブックマークしている数少ないブロガーフモフモ編集長のコラムを読んでみてください。
大坂なおみさんが自分と同じとか違うとかを気にする気持ちは、全部ラモスに吹き飛ばしてもらうとイイと思う件。
私が書けるのはとても個人的なこと、人生の半分以上の時間を日本の外、香港や台北で暮らしている間に体験したり考えたりしたことだけ。その土地の特徴や関わり合い方、人それぞれの「フィルター」によっていろんな反応があったこと、それぞれの場所での出来事も比較してふり返ってみました。
Contents
「あんたどこから来た人?」混乱を招く原因は私の外見と聞く人によって違う「訛り」を察知するフィルター
香港から台北に移り住んでしばらくは、
「あんたどこから来た人?」
「ここの人ではないようだね」
丁寧ではあるものの、いぶかし気に尋ねられることが何度もありました。
台湾の人には、中国語を話す外国人の訛りが日本人のものなのか、欧米人のものなのか、香港人のものなのかを聞き分ける人が多いようです。
「外見や表情は日本人に見えるけど、中国語を喋ると香港訛りがある。一体どこから来た人なの?」
ずばりと聞かれて
「はい、日本人ですが香港に長く住んでいました」
と答えると
「なるほどね!」
と納得されます。
日本人や香港人が良く利用するお店のスタッフに
「あなたの話し方、日本人じゃないね!」と日本語で言われて「いやいや、なんで?」「香港人だよ!」「それを日本語で言う?」と大笑いしたり。
広東省では
「あなたは海外生活の長い香港人?言葉は同じだけど、仕草や表情が違う」
と指摘されました。香港は海外へ移民したり子供の頃から留学している人が多いし、そういう人たちもまた独特の雰囲気があるからわかりやすいけれど、日本人と接する機会があまりなければ、そういうカテゴリーだと思うのでしょう。
バリ島のホテルのスタッフと簡単な会話をしていただけなのに、「シンガポールからいらしたのですか」と尋ねられ「私の英語…そんなに独特だった…?」と打ちひしがれると「いやっ、日本のお客様はあんまり英語で会話をなさらないからっ」と必死で弁解され笑ってしまった。アジア中から訪れる宿泊客と接する中で、「日本人はこうだ」とすり込まれている部分があるのだなあと思いました。
香港人の友達には「話し方が台湾ぽくなった」と言われ、大陸の人には「うわっその台湾訛り気持ちわるっ」と言われ、台湾人には「香港人?」と言われ、日本人からは「本当に日本人なんですか?」と言われる。どこの人からも、私はよそ者に見えるんだな。言われた時はちょっと寂しいけど、仲間外れにされているとは感じません。
自分の経験やフィルターを通して見たある人のバックグラウンド。それぞれのフィルターによって、ひっかかるところは違うのだと思います。
香港と台湾では同じ「どこから来たの?」「どこの人?」という質問も、ニュアンスが違っているように感じます。
移民や外国人が多く、受け入れシステムも整っている香港では、単なる好奇心や確認の意味での質問。しかし台湾でそう尋ねる人からは、うっすらした警戒心がにじみ出ているのです。でも、私のバックグラウンドが日本だとわかると警戒はあっさり解かれて笑顔を見せてくれる。香港人どんだけ警戒されてんだよ…とそのたびに苦笑いしました。区別して警戒するフィルターは、台湾のほうが強いのかもしれない。
ただ、訛りとか、見た目や名前ですぐ覚えてもらえるのはありがたいことだとも思っています。電話番号が表示されなくても「もしもし」と言っただけで「ミミ?」と返してくれる人もいる。
他者から「何人?」と聞かれるたびに、私は逆に、聞いてくる人の経験値やバックグラウンドが見えるようで、面白いなあと感じます。
「日本人に見えない」言う人、言われる人の反応のフィルター
昔々、香港で知り合った日本人の居住者や旅行者が「日本人に見られなかった」ことを喜んだり誇示したりする風潮があって、私はそれをちょっと恥ずかしいと感じていました。そういう人に限って服装がとんちんかんだったり、日本語も現地語も言葉遣いが荒々しく、英語や中国語を話さない日本人をあからさまに見下したりするからです。
そんな人たちは日本人どころか地元の人にも見えない、ただの「雑でみっともない人」でしかない。
でも当時は「日本人離れしたワイルドなアタシ」を気取るのがナウでイケてるとする流れもあり、それに乗ったら「日本人に見えない」のは誉め言葉だったのでしょう。
私自身のことを言えば、中国語を話しても訛りに気づかれて「あなた香港人でしょ」と言われるのは恥ずかしいです。「標準中国語をしゃべっているつもり」の香港人の話し方を聞いて「うわ下手くそ」と内心思って(笑って)いたのと同じ話し方を、自分もしていると思い知らされているのだから。
日本の家族や親しい人から、「もう日本人じゃないね」と笑われたこともありました。「エビの殻の剥き方が日本人離れしている」とか、一時帰国で乗り込んだファミレスで「マロンフェア」を堪能した後、テーブルに座ったまま店員さんに「チェックお願いします」と言ってしまった時とか。
自分では気づかない咄嗟の仕草や反応の仕方が、日本で暮らしていた頃の私を知っている親しい人には「変わった」と映るのでしょう。
赤の他人には、私のことなど目にもとまらないだろうけれど、エスカレーターは右に立つのか左に立つのか、このドアは開けてもいいのか、一時帰国の時に変に浮かないように気を付けるようにしています。
「日本人に見えない」と言われて嬉しくはないけれど、腹も立ちません。私は日本人、日本で生まれ育って日本語を母語に教育を受け日本の文化や習慣が基礎になっているということは、揺るぎないからです。
人生で過ごした時間が日本以外のほうが長くても、それはもう変えようもなく、また、とてもありがたいこと。日本語、日本の習慣、食生活、これらを外国人が学ぼうとしたらどれだけ大変なことか。その苦労をせずに持てた基礎、母語や習慣は、大事にしたいと思っています。
「個人」を見るフィルターを持つ大人と少年少女たち
いつか聴いた曲に「つまらない大人にはなりたくない」という歌詞があって、当時18歳くらいだった私はわけもわからず「そうだそうだ。つまらない大人になんかなるものか」と思っていました。
つまらない大人ってなんだろう。
職種や環境、思想のことを言いだしたらきりがないけれど、私が今つまらない大人だ思うのは、人のバックグラウンドだけを見て攻撃をしかけたり、すり寄ってきたりする人です。
日本人だからというだけで、暴言や暴力を浴びせられたことは何度もありました。当時は私もまだ若くてぼんやりしていたし、現地の言葉もまともに話せなかったから、攻撃しやすいと思われたのでしょう。
年齢を重ねるうちに私は「やられたらやり返す語気」を身につけ、「なんなら返り討ちにして息の根止める」雰囲気を醸し出す大人に仕上がってしまった。そのせいか、今は理不尽な目に遭うことはありません。
なによりも、「日本人だから」と攻撃対象にする浅慮な人が減り、新しい世代や意識が育ったことが一番大きいと思います。
これは、旅行や文化、人が個人で交流してきたことの積み重ねが成すもの。ひとりひとりが感じて出来上がってきたものだと信じています。「反日」とか「親日」とか、一言ではくくりきれない積み重ねられてきたもののおかげです。
それでも「台湾に住んでいる」「広東語を話す」というだけですり寄ってくる人は、たまにいますね。台湾、香港に興味があって、何とか近寄る手立てが欲しい人。そのための情報や近道を楽に探すことに血眼になっている人は結局「誰でもいい」ので、「お友達になってください」と言われても、びっくりしてしまいます。私のどこが、あなたのお友達としてふさわしいのか。あなたは私と、どんな話をするのか。
友達になる。それを口実に他人の頭を踏み台にちゃっかり近道を昇ろうとするのは、ずるくてつまらない大人だと思います。
「あ、日本人だったのね」
私の話し方や動作が「その人の知っている日本人」とは違っても、笑って流して、それから先は「個人」として接してくれる人たち。
日本でも台湾でも香港でも、そういうフィルターを持っている人たちとの暮らしや、仕事、遊びに精をだす環境が、私は居心地よいのかな。どこの国や街にも、面白くて優しい大人と少年少女が沢山いるのが嬉しいです。
国を代表して戦うアスリートとは背負うものや情況が全く違う小さなこと、台湾という島国や、香港という小さな街での個人的な出来事でした。
うちの猫は、香港生まれということしかわかりません。