香港に関するあらゆることについて、誰が何を言おうと自分の感じ方は少し違っている。「花樣年華(In the mood for love)」という映画、王家衛という映画監督についても、人によってまるっきり違うことを言う。
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なぜ『花様年華』ほどの映画がもう香港で生まれないのかという記事を読んでも、私にはぴんときませんでした。
香港に関しては、誰が何を言おうと「あなたにとってはそうかもしれない、でも私は違う」と誰もが異なる感想や思いを抱くもの。その異なるモザイクが、好き勝手に積み上げた香港の古いビルのようなものなのだと思います。好き勝手のモザイクで出来上がったものを「アートだ」と外側の人間は感嘆するかもしれない。でも、内側で暮らす人たちは「は?何言ってやがる」と眉をひそめて肩をそびやかし、相手にしない、かまわない。そんな感じ。見る人や立ち位置、居る場所眺める距離と時代によって、まるで違ったものになる香港。でも自分の中ではその存在が揺らぐことはないのが香港。
「花樣年華」は2000年の香港で、公開直後に見ました。でも、張曼玉(Maggie Cheung)の旗袍が綺麗でぼーっとしたことくらいしか覚えていません。製作から20年が過ぎてもこの映画はいまだに語られ続け、張曼玉があの映画の中で何着も何着も着替えた21着の旗袍についても、その詳細がいくつかの媒体で、改めて伝えられていました。
香港の広東語では「ケイポウ」、一般的には中国語の発音で「Qipao(チーパオ)」と呼ばれるチャイナドレス。
どれも甲乙がつけられないほど美しかった。どれも全て好きだけど、素材として、作るのも着こなすのもさぞ難しかっただろうと感嘆したのは、ふたりで「閉じ込められてしまった」時に着ていたものでした。
「蘇麗珍」張曼玉が着た旗袍のまとめ(すべて中国語)
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香港の雨の中を歩く女、香港にしかいない男
チャイナドレスをデザインしたのは張叔平。彼の個人的なコレクションの貴重な布も、「蘇麗珍」のために放出したのだとか。現在80代になったケイポウ・マスターに依頼して、1年かけて30着近く作られたのだそうです。
画面に映し出されるのは、身体とドレスの間に薄い空気感を残して浮くように張り付く綺麗な全身や意志的な顔よりも、主に腰やお腹のあたり。勿体ぶらず、いやらしさもない。真っ平で柔らかそうなお腹と丸い腰はむやみに揺れず、真っすぐできれいな長い脚を、ことさらにスリットから見せて強調しない。お腹の前で組まれ、揺れ、止まりながら心情を表現する、張曼玉の手の演技。美しかった。
香港の人たちが今でも張曼玉をあがめ、たまに彼女が公の場に現れると熱狂的に迎えるのは、わかる気がします。
「花様年華」の蘇麗珍は、「阿飛正傳」で彼女が演じた同じ名前の蘇麗珍だろうか。1960年4月16日、南華體育會の売店で、髪をおろし、ワンピース姿で居眠りをしていた、あの蘇麗珍?大雨の中訪ねた旭仔のアパートで、女と鉢合わせて静かに帰っていき、坂道の下で泣いていた、車代を警察官に借りた蘇麗珍?彼女がたった2年で、髪をアップにしてピンヒールを穿き中国服を何着も着替え、タイプライターを打ち電話を取りボスの奥さんと愛人の予定も調整できる秘書に?私は、違う女じゃないかと思う。でも、「阿飛正傳」で旭仔を探しにきた喧嘩腰の女に蘇麗珍が言ったセリフ、
「泣くなら家に帰ってひとりで泣きなさいよ」
「私はもうなんでもない、平気だわ。」……
散々泣いて、泣くのをやめて、彼女は変わろうとしたのかもしれない。あの時の彼女とは、もう違う女。「蘇麗珍」は60年代の前半に、雨が降る香港の街を歩いていた女たちの名前。香港には、悪い男がいっぱいいる。悪くて勝手で優しくて色っぽい、ある日突然街を離れてしまう人。日本でも台湾でも出会わないタイプの男が、香港にだけいる。梁朝偉(Tony Leung)はそんな男の姿を映像に残せる、香港にしかいない俳優。
「王家衛の映画は退屈」とあの頃、何人もの香港人が言った
あの当時、香港人で「王家衛(Wong Kar-Wai)の映画は画面が暗い、意味が分からない。芸術的過ぎて退屈だ」と言い切る人は多くいました。映画館は暇つぶしや涼みに入る意味合いも、まだ残っていた90年代の終わりから2000年の始まりの頃。芸術とか、思わせぶりな表現を不要だと蹴散らして、わかりやすく笑える、ドンパチですかっとするもので時間をつぶす。香港映画が海外で評価されることに意味や価値を見出さない人たちが、まだ若かったころ。
逆に日本人は寄ると触ると「王家衛」で、香港映画イコール彼とカメラマンのクリストファー・ドイルの名前があがるのも、ちょっと辟易しました。王家衛から入った人はシノワズリや廃頽的なムードを香港に求め、それ以外の理由で香港に来た人とは、話している内容も、観ている視点もあまり重ならない。
でも、最初にも書いた通りに観る人によって「違っている」のが、香港と香港にまつわるあらゆるものだと思います。
噂をすれば、窓ガラス越しに王家衛。
香港の銅鑼湾でお茶を飲みながら、日本から来たカメラマンが彼の好きな王家衛監督の作品の話しをしているその時、窓ガラス越しに王家衛本人が車を降りるのが見えました。「ああ、ちょうどご本人が来ました」と伝えると、カメラマンは「嘘だろ」と物凄く驚いていた。ガラス越しにもこちらの熱い視線に気づいたようで、私達が手を振り会釈をすると、背の高い、サングラスの王家衛も私達にちょっと会釈返してくれたものです。彼がゆるい坂道を登っていってしまうと、それまで熱く語っていたカメラマンは言葉を失って椅子の中に沈み込み、私はちょっと得意になって「ね。こういうことが起きるのが、香港なの」と彼に言いました。
猫と一緒に広東語Youtuberの解説で
映画を解説する広東語Youtuber少年江流さん(@loiiseng)の説明を聴き、再び観る「花樣年華」はとてもわかりやすかった。多くのものがよくよく見えるようで、気持ちが良いものでした。
少年江流さんは、マカオの方みたい。広東語で香港映画を語ってくれる言葉は聞きやすく、字幕もついているし、説明のポイントもはっきりしています。
欲望を表す赤。
抑制の緑。
のぞき見をするカメラアングル。
「本当の気持ちは誰にもわからない。我々は、想像するだけなんです。」
少年江流さんの解説は、広東語で中国語字幕、もぞもぞ動く猫ちゃんの後ろ姿つき。猫と広東語が好きな方は見て・聴くだけでも楽しいと思います。
【拉片週記】《花樣年華》|如何看懂王家衛?王家衛的電影美學|影評 上
【拉片週記】《花樣年華》|如何看懂王家衛?王家衛的電影美學|影評 下
多分2000年に観た時、私ははわかったふりすら最初からあきらめ「わからない」と開き直っていました。王家衛の映画だから、しょうがない。公開から20年が過ぎ、資料と解説、私が重ねた年齢、香港から離れて台北で観ている。様々な要因が重なると、改めてこの映画を堪能できたように思います。
花様年華を、もう一度プレイバック。これから冬が終わるまで「おうち時間」とやらが再び長くなる合間に緑と赤と、のぞき見の世界へ。ただ傍観するだけでは終わらない、観て考え、感じる旅に出る映画でした。
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