時々コーヒーを飲みに行くCafe Junkiesのオーナーが廃屋からこつこつとひとりで作り上げた焙煎所にお邪魔した。
カフェのある健康路から大分離れた木柵で、お友達や家族、常連客が集まったパーティ。
オーナーのお母さんが鍋一杯に作ってくれた美味しいお料理を自らよそって手渡してくれて、グラスももうどれが誰のかわからない。
誰かのワンコや知らないワンコも仲間入りしたり入れ代わり立ち代わりお喋りしていると、両親に連れられて来ていた高校一年生の女の子を紹介された。
家庭教師を呼んで、日本語を勉強しているとのこと。
その場にいた日本人は私だけだったので、ゆっくりと自己紹介や、どうして日本語を勉強しているのとか、日本のどこへ行ったことがあるのとか、台湾の人と日本について話していると必ずと言っていいほどたどり着くラーメンのお店のことなど、おしゃべりして楽しかった。
なんだかわからないけれど、とにかく日本語が大好きなのだそうだ。
理由を滔々と語られるより、なんだかわからないけど好き、という気持ちはいじらしいような、本物のような気がする。
お爺さんが話す日本語、孫世代に受け継がれるワビ・サビ
彼女のお母さん曰く、お爺さんが日本統治時代の方で日本語を話される。
今でもお元気に、ひとりで日本をあちこち旅行しているのだそう。
「うちのおじいさんは日本の色々なところへ旅行するけれど、大阪は言葉が嫌だから行かないのよ」
とお母さん。大阪云々はおいといても、合う合わないを区別してこだわりを持つとは、驚いてしまった。
相当日本や日本語についての強い信念をお持ちなのかな。
同じ国へ、例えば東京のような限られた場所でもあの辺は治安がとか、この辺は好きという指標はあるだろうけれど、言葉が嫌でというのは、とても興味深い。
おじいさんは日本統治世代、お母さんやお父さんは欧米留学世代で、その子供が自ら日本語を選んで学ぶ台湾の女の子を、もう一人知っている。
彼女とは、台北のドイツ語学校で知り合った。
中国語で受けるドイツ語の勉強というのは私にとってはかなりハードで、先生もクラスメイトも私が理解しているか、私に親しみやすい例を探したりと気を使ってくれ、とてもありがたかった。
どのクラスに行っても必ず日本語が出来る子がいたけれど、その中でも特に、ドイツ語による自己紹介タイムで私が日本人とわかるとキラキラした目でこちらを見ていた彼女。
かといってグイグイ近づいてくるでもなく、中国語で聴く複雑なドイツ語の文法の説明にどんどん首が右へ傾き頭の上にでっかい「?」を浮かべる私を心配そうに、もの言いたげに見守ってくれていた。
彼女はドイツへの留学準備で学校に通っていたので、出発前に連絡先を交換して、次に私がドイツへ行った時、ケルンの彼女を訪ねた。
大学の生活のことや、彼女のおじいさんもまた日本語世代の方で日本語を教えてもらったり、ふたりでお茶を楽しんだりすることをとても嬉しそうに話してくれた。
「羊羹と日本茶はとても落ち着きます。わび、さび。」
中国語の中にそこだけ日本語で表現するのでびっくりして尋ねると、やっぱりおじいさんに教わったのだとのこと。
19歳の、嵐の誰それ君が大好きという台湾人の彼女からそんな言葉を聴けるとは思わず、嬉しかった。
日本語世代の方がどのように日本を思ってくれているのか、伺ったり、ほんの少し触れることがあって、そのたびに涙が出るような感じになる。
おじいさんから教えられた羊羹と日本茶の時間を過ごしたり自ら日本語を学びはじめて、十代の後半になってからも一緒に旅をしたりするなんて良いなあ。
普通のおうちの、静かなお話を聴けるのはとても好きです。