昨夜なにを食べたか思い出せなくても、2011年3月11日、あの日何をしていたか、何を感じ、何を、誰を思ったかは覚えてる
NHK仙台拠点放送局のホームページに「あの日、何をしていましたか?」コメントを送るページが開設されていました。私は大好きなドラマ「あまちゃん」関連のリンクからアクセスしたと思います。
あの日台北にいた私が何をしていたか。泣いてオロオロするばかり、日本で被災した人たちが体験したことや思いには、遠く及ばないです。でも、海外にいて何もできずテレビで繰り返される津波の画面とつながらない電話、無力と焦燥、言葉もなすすべもなく涙を流すしかなかった、その事実をコメントにして送りました。
その後しばらくするとNHK仙台放送局の方からご連絡があり、電話で話がしたいとのこと。東日本大震災は台湾からの支援が大きかったからか、現地の人たちがどんな様子だったかを聞かせてもらえないでしょうかと、とても丁寧にたずねてくださったのです。私で良ければと引き受け、寄付の大きさはニュースでも知られているところなので、私が台北で個人的に体験したことをお伝えしました。
コンビニやタクシーの運転手、立ち寄った店や見知らぬ人たちも、私が日本人とわかると「家族は、友達は無事だったか」と気遣ってくれたこと。たいしたことはできないからと、タクシー代を受け取らないとか、食事代はいいと言われることが何度もあって「私個人にそんなことをしないでください」と戸惑ったけれど「その分を、あなたが日本で必要な人に寄付して」といってくれたこと。
「サッカー日本代表のレプリカユニフォームもよく見かけました」と話すと、相手の方はそれが台湾では特別なことなのか?不思議そうにされたので、説明をしました。
「台湾は野球やバスケットボールほど、サッカー熱は高くありません。ワールドカップの時期でもなければサッカーのユニフォームを着る人はほとんどいないのに、あの春は、胸に日の丸をつけたサムライブルーのユニフォームを着た台湾人が、私にはやたらと目につきました。応援の気持ちで着ていてくれたのかもしれませんね」
相手の方は電話の向こうで少し沈黙してから、声を震わせていたことを覚えています。サッカー好き視点の余談、興味が無ければ流される出来事かもしれない。でも私は日本代表のユニフォームを着た人達と街で出会えて励まされたので、NHKの担当の方に伝わったのが、嬉しかった。メールは便利だけれど、電話って良いな。
その後、サイトを通じて寄せられたコメントをまとめた冊子を送るとご連絡があり、日本の家族の住所を伝え、コロナ禍を経て3年ぶりの帰国でようやく手にしました。コメントは全て匿名なのに、わざわざ私のコメントのページに「あの日の私」の栞が挟まれているのに驚いてしまった。
オンラインで募集したコメントなのに、紙にして、ひとりひとりに栞を挟んで、郵便で送る。この手作業、冊子の紙の清らかさと温かさに涙が出てしまいました。
日本に帰ってきて東京の混みあった電車に乗り、四方八方両隣もスマホを見る人達に囲まれ挟まれると居心地が悪くて仕方ない。小さな画面のスクロールや入力でせわしなく動く他人の指が視界に入ると気持ちが悪い。だから電車で私はたいてい眼を閉じ、イヤフォンで耳をふさいでいます。でも紙の書籍を読む人が近くにいたら、幸運日。その人がページをめくると、良い気と時間があたりに流れるようで嬉しくなります。
あの日、2011年の3月11日に何が起きたのかすぐにわからず、何がどうなったのか不安で、海外にいた私たちは慣れないSNSに集まり、声を掛け合い慰め合っていました。
2023年、今何が起きているのかせわしなく知ろうとするのは、「あの日の私」をみんなが忘れられずにいるからだろうか。何かとずっと繋がっていて、すぐにアクセスできる安心感を継続するためなのかな。
オンラインで集めて、紙に残す。指一本でめくったり閉じたりするだけではすぐに忘れられてしまいそうで怖い。冊子、本の形に残して指でめくって読んでいく。その時間に刻まれるものは、ネットでは流れてこないかもしれないから。
NHK仙台放送局 みんなの3.11プロジェクトhttps://www.nhk.or.jp/sendai/311densho/souieba/
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