早朝、デュッセルドルフ空港駅からドイツ鉄道に乗る
早朝にデュッセルドルフの空港に着き、するするとSky trainの乗り場、デュッセルドルフ空港駅へ出る。
これまでこの空港駅は通り過ぎるだけで、ホームへのなだらかなエスカレーターや、あまり乗り降りする人が多くないことくらいしかわからなかった。
小さな駅。だからデュッセルドルフ空港も、台北松山空港のようなこじんまりした規模だと思っていたら、大間違いだった。
フランクフルトやアムステルダム空港で早朝に飛行機を降り、荷物を引きずって高速鉄道に乗り換え、さらに一時間、二時間の移動をする、しかも遅延だ、途中で停まるだなど緊張と苦行を繰り返すのはしんどかった。
折角乗り換えなしの便を捕まえられても、途中で停まって「はい今日はここまでよ、下りてね」なんてやられて戸惑い、涙目になった人もいるんじゃないかと思う。
少なくともここにひとりいる。ドイツ語の勉強をすると、やたらと遅延、乗り換えのアナウンスがお題に出る。それは絶対に必要になるので、真面目にやっておいた方がいい。
でも、全然わからないでぽかんとしているとイケメンのビジネスマンが英語で「今の分かった?」と声をかけてくれたりして、いいこともある。
移民が増えた。話しかけられることも増えた。
デュッセルドルフから、私の目的地まで電車で約30分。
旅行前、色々大丈夫なのと心配されたものの、私の意識はそこにはあまり行っていなかった。それでも、電車に乗っていて、外国人が増えたかなと感じた。
彼らは不安そうにぽつんと乗っている。行き先を確かめたくてソワソワしているのがわかる。
そしてなぜか、ドイツ人ではなく私に尋ねてくる。
「この電車はどこそこへ行くかな」
英語もドイツ語もあまり上手ではないみたいで、多分ドイツ人よりも、あからさまに外国人の私の方が、話しかけやすかったんだろう。
「この電車はどこそこへいきますよ」簡単な英語で答える。
それでも不安そうにしているその人に、周りのドイツ人たちが黙っていられなくなってあれこれドイツ語で喋りだす。
親切のカオスの中で当人は呆然とする状態になり、おじさんがドイツ語で
「そこに路線図があるから見てごらん」
と行き先を心配している人の目指す駅を指さしても、
「ドイツ語が読めなくて・・・」
大丈夫、行きますからと私が断言すると、隣のおばさまが
「知り合いもスイスにいるけどねえ、しゃべるのはうまいのよ、でも読めないの。しゃべるのは簡単なのよ。読むのは難しいのよドイツ語は」
去年受けたドイツ語の試験で、読み書きはハイスコアを出したのに喋りで低い点を貰った私には、耳が痛い。実践と、机の上での学習との違いだろうな。
私が降りる駅で、件の外国人も降りた。彼はぱっと笑顔になって
「君もここで降りるの、それは素晴らしい。僕はドイツに来て五か月、今日初めて遠くへ行ったから、帰ってくる道がわからなかったんだ」
というようなことを話してくれた。
「ドイツの鉄道難しいですよね」と私は言った。
ここにいてもいいと、伝えてほしい
今回の滞在で、何度か車内の中で、同じようにドイツ人以外の人から電車の行き先を聞かれた。あんなに不安そうに、この電車が自分の行き先へ向かっているのか心配している人を、他の国では見たことがないように思う。
私はさらに別の小さな路線に乗り換える。一年半ぶり、何も変わっていない駅、チケットの買い方も覚えてた。唯一違っていたのは、ホームの電光掲示板の文字が滲んで見えなかったことくらいかな・・・視力が悪くなりすぎて・・・。
初めて来た時、真逆の方向にへ行くトラムに乗ってしまったっけ。行けども行けどもそれらしきアナウンスはないし、路線図を見ても全く理解できなかった。でも、一生懸命教えてくれる人に、必ず出会うことが出来る。
欧米の人がアジアに来たら、やはり同じ不便さを味わうのだろうか。台湾ではあまり不安そうな人は見ないけれど、出来るだけ声をかけたいと思う。行き先がわからなかったり、自分が歓迎されていないと感じたりするのは、寂しい。
でも、誰かが話しかけてくれるだけで、それはとても安心するものだから。行き先は間違っていない、自分はここにいてもいいのだと。