台湾では見かけることが少ない、サッカーのユニフォーム。2011年3月の震災の後は、街のあちこちに「サッカー日本代表」ユニフォームのレプリカを着ている人たちが現れました。
サッカーのチャンピオンズリーグでベスト8が決まる時期になると、台北でも時々バルセロナやマンチェスターユナイテッドのレプリカユニフォームを着ている人とすれ違うことがあります。日本代表のユニフォームは、ワールドカップの時くらい。それも、台湾在住の日本人とお見受けする人が多かった。台北でサッカーのユニフォームを着るのは、まだ少数派みたい。
でも、2011年の3月、東日本大震災の後には台北のあちこちで、背番号のない日本代表のレプリカユニフォームを着ている台湾人の方たちを見かけました。
震災後、台湾のあちこちで見かけた「日本代表」
震災直後、日本へ一時帰国した飛行機の窓から街を見下ろした時、これまで一度もそんなことはなかったのに、私は嗚咽をこらえることができませんでした。
その日の機内は、ほぼ日本人のみ。普段から台北松山空港-東京羽田空港路線は出張者が多いけれど、さすがにこの時期は台湾人の旅行者は一組しかいなかったように記憶しています。
帰りの機内では、台湾人の親子4人が一緒でした。お父さんもお母さんも子供たちもサッカー日本代表のレプリカユニを着ているのを見てまた涙腺がゆるみかけたけれど、それが「なでしこ」バージョンだったのに気づいて(お父さんもなでしこ着ちゃったのね、みんなお揃いにしたのね)と泣き笑いというか、なんかもういじらしくて、嬉しかったことを覚えています。
台北の街の中でも、バイクに乗っているひと、近所を歩いているひと、あちこちに「日本代表」が現れました。日本人なら背番号や選手の名前入りを着る人が多いし雰囲気でわかる。でも、あの年の3月に台北で背番号の無い日本代表ユニフォームを着ていたのは、多くが台湾のひとたちでした。
「私たちは忘れっぽいから」と日本人の感謝を笑って受け流す台湾の人たち
台湾から多くの支援があったことは良く知られています。そのことに今でも感謝を伝えると、「台湾人は忘れっぽいから」とみんな笑って受け流して、一度たりとも、誰からも、恩着せがましいことを言われたことはありません。
「私は忘れっぽいから、日本へお花見に行くよ」と笑った台湾の友達。日本代表ユニを着て、胸に日の丸をつけて台北の街をバイクで走っていた人たちの「日本加油」の気持ちと行動がとても嬉しかったことを、私は忘れないと思います。
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