気分転換が必要でした。芝生の匂いとボールを蹴る音が恋しかった。台鉄に乗って桃園へ、サッカーの試合を観に行きました。
場所は銘傳大学桃園キャンパスのサッカー場。桃園駅からバスで15分、山から吹いてくる風には、短く刈り込み綺麗に手入れされた芝生の香りが混じります。対戦したのは大学サッカー部と、社会人クラブ。
試合前、選手が集合したところを写真に撮っていたら、おじさんがフレームインしてきました。
涼し気な丸襟シャツにハーフパンツが粋でイナセ、試合に全く関係ない方であることは一目瞭然。でも、この手のスタイルのおじさんには、何も言えません。硬いことや細かいこと、酸いも甘いも噛分け超越した人のみが辿り着く、最もシンプルな着こなしが板についているから。
私にとって、サッカーのフィールドは聖地、聖域。選ばれし者以外踏み入ってはならない、歴とした境界線があり、近寄るのも恐れ多い場所です。
私が世界で一番好きな場所は、日本でも台湾でも香港でもなく、ドイツのサッカー練習場。そしてそこには、立ち入り禁止の札が立っています。
大学のフィールドに、そのような立札はありません。だからおじさんは、悠然としていました。サッカーの試合、眼中なし。お互いに邪魔はしない、ただ空間を共有しているだけで、その自然な様子は、とても気持ちよさそうでした。
こんな風に、台湾ではバイクや徒歩でどこからともなく、自由なおじさんが現れます。彼らの無作為な表情や行動に「やだもう」と笑った後に、私はいつも寂しくなるのです。
私は自分で境界線を作り、自ら不自由を増やしていると、気づいてしまうから。
ベンチ裏にウサギを連れて来るのはおじさん予備軍
試合を観る時、応援しているクラブのベンチ裏の席は、私のようなミーハーものには嬉しい場所です。選手やコーチ、スタッフが集まっている場所のすぐ近くにいられて、緊迫し張りつめた声が良く聴こえるし、交代のために呼ばれた選手がスタンバイを始める様子、熱気も垣間見ることが出来るから。
この日は、ベンチの真裏でウサギを散歩させている人がいました。ウサギは芝生の上をのんびり跳ねて、ボールの音も怖がらない。散歩させていた若い男性もまた、何をも恐れないよう。彼もきっと、これから自由なおじさんへと進化していくのかもしれません。
もしここに飼い猫を連れていき(万が一にも有り得ないど)、その猫がニャーンとベンチ裏に行ってしまったら、私は中腰で忍者のように素早く回収に向かうでしょう。
私だって、一緒に芝生で転がって遊びたい。でもそれは無理なのです。選手やコーチのいるベンチに近づくなんて、恐れ多すぎて出来やしない。ここでもまた、己の不自由さを感じました。
試合中、アグレッシブな競り合いがあり、一方にとって不利な判定が出ました。コーチ激怒。相手の選手も負けじと煽ります。中国語と英語の罵声が飛び交い、審判がなだめても落ち着かず、その場を収めるためなのか、コーチに退場命令が下りました。その前に相手の選手もレッドカードで退場になっていたから、両チームにマイナス1でバランスをとったようにも見えます。
コーチは抗議の言葉を口にしながら、自分のボストンバッグを手にベンチエリアを出て行きました。・・・と思ったら、なんということでしょう。彼は少し離れたところでバッグを開くと、
「コーチとしては退場なら、選手として出る」
とユニフォームに着替え始めたのです。目の玉飛び出そうになりました。
審判や足球協会の人たちが
「いやダメですから」
「無理ですから」
紳士的な態度で穏やかに、しかし毅然と伝えても、コーチは引き下がらない。結局ユニフォームを着たまま、ベンチに戻って行きました。
私はこれまで、退場を言い渡されてもその場に残った選手やコーチを、見たことがありません。コーチ自ら、選手として出る宣言も。
この場面には、部外者、ただ試合を見る者として、台湾のサッカーが向上するよう願うだけでした。国際試合でさえ、簡単でも穏やかでもない判定は起きるけれども。
日が暮れてくると、ウォーキングのおばさんたちも現れ始めました。日焼けを気にしてこの時間帯に来ているのかな。勿論彼女たちも、試合が続いているフィールドとベンチの間のトラックエリアを堂々と歩いていきます。
台湾の人たちって、大方自由だなあ。恐れずに、行きたい場所にちゃんといる。時には声を上げて主張しても、大体は笑顔で、人を突き飛ばすことなく、我が道を行く。
それがあまりに自然な様子だから、私はいつも「えっと」驚き、呆気にとられ、後から込み上げてくる笑いで腹筋を鍛えます。
そして、ちょっと寂しくなる。
私は自分を、自由に生きている人間だと思っていた。でも、台湾の人たちの自由さは、どこか可愛くて、もっと軽やかで、ちゃんとそれぞれの空間がある。私はまだまだ、彼らに比べたら不自由だし可愛げもない。それも自分自身で作った立札、境界線のせいだなあと気づいてしまった。
広いところに行くのは、良いものです。台北は好き、でも、ちょっと離れて、風に吹かれて深呼吸するのもとても好きです。どこに行ってもおじさんたちは現れて、私を笑わせてくれるし。