週末の東京、2日続けて友達に会えました。
台湾で2010年代に出会い、日本に戻ってきた友達。
香港で1990年代の終わりに出会って、今は別の街に生きる場所を変えた友達。
東京でまたみんなに会えるのはなんだか不思議なようで、どうということもないかもしれない。
金曜日の夜は、台北で知り合った友達と。
4人それぞれが台湾での数年にわたった生活を終え、東京に戻って来ていました。ひとりと台湾マンゴーの取り寄せのことで連絡を取り合い、そういえば誰ちゃんも帰ってきたよ、誰君も東京にいるよと伝えて、それならと久しぶりに集まることに。
同じ時期に台北で暮らし、仕事や家庭の肩書ではなく、名前だけで呼び合い遊んだ仲間です。狭い街では、日本人同士の付き合いに気を使うこともありました。でも、この仲間とはいつも、笑い過ぎて何をしゃべったか覚えていない時間を過ごしました。くだらないことをしゃべって笑える同級生と大人になってから出会えた、気の置けない友達です。
東京での再会も、話題はやっぱり台湾でのあれこれ。あの通りのあの店がもうないとか、あの人はどうしてるとか、あの時のあのこと、東京に帰って来てからのこと、これから行く国や街のこと。かと思えば突然時を巻き戻して昭和の頃のことや令和のさらに先のこと、話はつきず二軒目に。「ここは、みみさん好きだと思うんだ」と連れて行ってくれた店は地下、階段を降りてドアを開ける時、私ともうひとりの友達で「ここは」と顔見あわせました。その友達が好きだと言って教えてくれた、ドラマの舞台になっていた場所だったから。ぼうっと夢みたいな気分で入ったバー、落ち着いた笑顔のママさんに、ロケをした経緯を尋ねてみたり。台湾で暮らしながら観ていた日本のドラマの場面が急に目の前に開けるなんてことが、東京で起きるのね。
そうしてみんなで真夜中までしゃべり続けて、真夜中の新宿の交差点で四方に分かれ、それぞれ終電間際に駅に滑り込んでいきました。またみんなで会える、安心と幸福感とともに。
夢のような地下のバーにいる間、私の電話にはアメリカから東京に着いたばかりの友達のボイスメッセージが届いていました。先月の初め、彼はバンコクから東京経由でアメリカに行き、私たちが東京で会うと聞きつけた別の友達も香港から合流して、一緒に日本橋や新宿で食事をしました。アメリカでの用事が済んだ友達は、再び東京を経由してバンコクへ戻るとのこと。今回は、上海から別の友達がやってきて東京で合流しました。みんな1997年に香港で知り合い、香港や台湾でずっと一緒に遊んできた友達です。
上海から合流する友達と顔を合わせるのは、4年前の台北以来。でも二週間前に、電話で話しはしていました。彼女の東京の古い友人が亡くなり、花を送りたいから手伝ってほしいと連絡がきたのです。突然の訃報、彼女はちょうど飛行機で移動中で、日本のしきたりもわからない。失礼のないよう、とにかくお別れに間に合うようにと、私を思い出し頼ってくれました。
新宿のにぎやかなバーの扉の外に出て広東語のボイスメッセージを聞き、私もお酒を飲んでいるし薄暗いバーで英語や中国語のテキストを打つのは億劫だから、広東語でボイスメッセージを入れて返しました。翌日の昼の約束、友人たちは南青山で買い物をしたいからそちら方面の店がいい。先月と同じように、日本人と行かなければ注文できないような店に連れて行ってとリクエスト。南青山だと?私の苦手な方角です。そうは言ってもせっかくの日本、美味しいものを食べさせてあげたい。私にも、避けて通っていたエリアに外国の友達となら足を踏み入れる楽しみがあります。ちょっと考え、予約できる店の閉店間際に電話をして席を確保。ボイスメッセージと店のアドレス、予約時間をテキストで送って完了しました。
今思うと、普通に通話をすればよかったのに、なぜボイスメッセージを録音して送り合っていたんだろう。私がお酒に酔っていたから、頭が回らなかったのか。でも、酔っていたからこそ、後で聞き返せる音声で良かったのかもしれません。打ち間違いは恥ずかしいし厄介だけど、言い間違いなら面白いし。
香港の友人たちは東京に来ても私が一緒にいないとき、ミシュランを参考に店を決めることもあるそう。
なぜ私を東京のフレンチに誘わないのか?たずねてみると、私が一緒にいけないときは、英語のメニューがあってお店の人も外国人対応に慣れている、マナーやルールも世界共通の店が無難なのだと言っていました。だいぶ極端な理論のような気もするけれど、私もせっかっくなら、メニューに英語の解説も写真もない店に連れていきたいもんな。
変わり果てた表参道の混雑から逃れると、温かい隠れ家のような新潟の料理のお店があります。個室で先に待っていると、ふたりは新宿の百貨店からタクシーで乗り付けてきました。4年ぶりの再会、友達は花の手配のお礼を言い強いハグをしてからまじまじと私の顔を見て
「昨夜新宿で飲んでたんだって?顔がむくみきってるわよ」
香港人という人たちは、全く歯に衣着せない。言いにくいことを言ってくれるけど、後味は不思議に爽やかで、私は嫌じゃない。自分には見えていない、見ないようにしていたことを遠回りせず正面から忠告してくれるのは、家族と香港の友達だけ。日本や台湾の友達は黙って見守るか、別の言い回しを一生懸命考えてくれます。
香港で出会った私たちも今はみな違う場所で新しい生活を始めていて、やっぱりあれやこれやと話はつきず。コロナで制限されていた旅行が解禁になってから、日本に来るのが楽しくて仕方ないと彼らは言います。何を食べても美味しいし、欲しいものもたくさんあって円安、東京の店でなければ買えないものもあるのだそう。食後のコーヒーは、今まで味わったことのない甘みとやわらかいコクがありました。雪室珈琲、初めて聴く童話のような名前が素敵だしお店の方にたずねると、雪の中で豆を貯蔵していたのだとか。
雪の中に置いたコーヒーをぜひ買いたい、食後に隣の新潟館ネスパスに寄ろうと言うと、友人たちは最初、つまらなそうな顔をして付き合ってくれました。私は地方のアンテナショップが大好きで、通りかかると中に入らずにはいられません。あれこれ手に取り「柿の種。このブランドのが一番おいしい」「さっき飲んだ雪室珈琲。これは買っておこう」「うわ揚げ饅頭。油にあんこ、サクサクで超美味いから買うわよ」「新潟は米どころ。さっきのごはんも美味しかったでしょう。酒もいいのよ」と友人たちに話すと、彼らも煽られたのかバスケットを取りに行き、あれこれ入れていました。雪室珈琲も、手に取って説明をすると、棚にあるぶん全部お買い上げ。これも友人たちが求めていた「日本人と一緒じゃないと、わからないこと」だったのかな。
香港人と一緒じゃないとわからないことも、私にはあります。お買い物、特に日本のお洋服事情はさっぱりわからない。なんでそんなに日本のブランドを良く知っているんだろう?免税手続きも、お店の人が大変そうでした。東京のあちこちが、離れている間に私の知らない街になっていた。今は外国から遊びに来る友人たちのほうが詳しいけれど、不意に思い出すこともありました。
「246か。交差点のむこうに、時々行ったよ。私の人生で、初めて自分の意思で行ったバーだった」
とつぶやくと
「246?ここは青山通りじゃないの」
「そうよ、でも私たちはあの頃、246と呼んでたの。表参道を原宿からここまで上がって来るか、キャットストリートから入って渋谷へ出る。歩道橋の上から、知ってる子が来るかもしれないって眺めてた。スマホもポケベルもなかったけど、この辺にいれば友達に会えたのよ」
「昭和の話しネー」
「そうですネー」
香港の友達も、「昭和」はレトロな時代と知っているのです。同じ時代を生きた日本人同士でも、日本のことを良く知っている台湾の友達でもなく、香港の友達にあの頃の話をする機会は、今までなかったかもしれません。
ぶらぶらしていれば誰かに会った時代の東京。
今は、メッセンジャーで連絡をすれば会える。住む場所がみんな変わっても、東京ならまた会えるねと、そんな話をしました。あとは何をしゃべったか忘れました。ただ笑った、それで十分。
東京生活、東京散歩のコラム
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