台湾あるある

因果応報。もしあの時消火器を振り回していたら、今頃どこにいただろう

香港で最初に知り合った香港人の友達が時々言っていて、覚えた言葉が「善有善報,惡有惡報」でした。

 

 

善い行いには善き報い、悪い行いには悪しき報いが来るということ。平たく言えば「因果応報」なのでしょう。

悪事を働く人が上手く世渡りをしているのを目の当たりにして「なんで平気なんだろう」と腑に落ちないこと、普段の生活や仕事の場で、残念ながら誰にでもあると思います。
意地の悪い人やずるい人、あたりかまわず暴言や嫌みを言う人には「水たまりにはまって一番お気に入りの靴がドロドロになってしまえー」とか「気取った頭のてっぺんにハトの糞が命中してしまえー」と内心思うことが、私もある。
「死んでしまえっ」
レベルで憤ってしまった時は、
「いや、遅かれ早かれ死ぬし。私もあなたも」
と冷静になるようにしています。

それでも一度だけ、本気で暴れようかと思い詰めたことがありました。そこから巡った、因果応報の話。

暴言と理不尽な仕打ちを堪えたのは、その先の人生のため

香港に住んでいた頃のこと。
借りていたアパートで泥棒に入られそうになり、引っ越しをすることにしました。大家に賃貸契約に則り一か月前通知をすると、

「泥棒が来たのはあんたのせい。旅行会社なんかに勤めているから人の恨みを買ったんだろう。敷金は返さない」

とヒステリックに叫ばれました。

「私は真面目に働いて、人に恨みを買うような事はしていません。敷金については賃貸契約を見てください」
と言い返しても、
「知るか!あたしは字が読めない!」
と取り付く島もない。

確かにこの大家は字が書けず、読むこともできませんでした。当時の香港で高齢の方には、こういうことは珍しくなかった。それでも彼女は手広く商売をしていて、経営しているレストランもとても繁盛している。当時とても人気のあった香港スターたちと縁故があるとかで、彼らはコンサートの打ち上げでその店を使っていたし、大家はその街では顔の知られた人だったそうです。

私との賃貸契約書に大家もサインをしていたけれど、字が読めない彼女のために不動産屋が音読して説明し、署名は「十」の文字だけ。自分の名前も書けないのにレストランや不動産を持っているなんてすごいなあ…と最初は感心したけれど、それだけのハンデを持っても街の顔となる女性がどれだけ「すごい」か、外国人の私が思い知らされたのは、引っ越しをするときになってからだったのです。

不動産屋に相談しても「あの人がああ言い出したら、てこでも動かない。諦めるしかないよ」。外国人の一店子の権利よりも、同じ街で商売をするお金持ちの「顏」をたてるほうを選んだのでしょう。

結局私は泣き寝入り。弁護士を立てるとか消費者委員会に訴えることもなく、黙ってそのエリアを去り、新しい部屋での生活だけを考えることにしました。

悔しかったのは、泥棒に入られそうになったことでも敷金が戻ってこなかったことでもなく、「そんな仕事をしているから」と侮辱されたことでした。その点で私は激怒していて
「消火器担いで大家の店に乗り込んでやろうか」
と半ば本気で思いつめていた。

でも、誰かのせいで犯罪者になりたくない。外国暮らしで何かをしでかしたら、最悪日本へ強制送還になるだろう。これまで積み重ねてきた勉強や仕事、ビザ、人間関係を、こんなことで、誰かへの怒りで台無しにしたくない。

香港人の友達に泣きごとを言うと、彼女は「善有善報, 惡有惡報。忘れなさい」と私に言いました。
「それっていつ?いつあのおばさんに因果が来るの?」と聞きたかったけれど、そんなことは誰にもわからない。

移り住んだ新しい部屋は見晴らしがよくベランダが広かったので、引っ越し早々私は友人知人を招いてパーティをしました。みんなで食べて飲んで笑って、家の猫と友人たちが遊んでいる様子を見ていたら、頭に来ていたことはわりとどうでも良くなった。
「泥棒のおかげであの部屋を転がり出て、この部屋へ引っ越すきっかけになった」と考えなおし、嫌な出来事は忘れてしまいました。

引っ越し先のベランダ。私より猫のほうが有効に楽しんでいるようでした。

 

あんたがこの手紙を見つける頃、俺はもうこの街にはいないだろう」…新聞報道で知った因果応報

それから一年くらい経ったころ、業務の一環で新聞記事をチェックしていると、見覚のある店の写真が掲載されていることに気づきました。

私が消火器を担いでいこうとしたあのお店。

記事を読んでみると、長年そこで働いていた老ウエイターが店の売り上げをごっそり持ち逃げしたのだそう。現場にはオーナーである大家あてに置手紙があり「あんたがこの手紙を読むころ、俺はもうこの街にはいないだろう…あばよ」としたためてあったのだとか。

「惡有惡報…」

ちょっと呆然としながら、最後にあの店に行った時のことを思い出しました。「契約書を見てください。敷金を返してください」と交渉する私を感情的に怒鳴り散らすオーナーに怯えて、目を伏せて開店準備をしていたお店のひとたち。私を憐れむように一瞬こちらを見た老ウエイター。こんな人の元で働くのは可哀想だな。自分の立場を通じて、一瞬彼らに同情したこと。

泥棒されるのはあんたのせい。人の恨みを買ったんだろう。

私に向かって浴びせた罵倒がそっくりそのまま彼女自身に返ってしまったことに、寒気がしました。

それにしても、字が読めないオーナーに置き手紙…やるなぁ…

私はその記事を切り抜いてしばらく眺め、それから捨てました。

足を引っ張っても上にはあがれない。一緒に沈むだけだから

「善有善報,惡有惡報」には「不是不報,時辰未到」という続きがあります。

「なぜ悪人がのうのうとしているの」
「真面目に生きているのにどうして報われないの」

やるせなさを感じることもあるかもしれないけれど、それは「報いが無いのではない。時が来ていないだけ」ということ。忘れた頃に、もしかしたら気づかないうちに因果は巡ってきているのかもしれない。

香港よりものんびりしていると思われる台湾でも、時には足の引っ張りあいや落とし込みの策略を見聞きすることがありました。

目の上のたんこぶやライバルを蹴散らすための策略は浅慮な方法、すぐに見破られるし台湾内では噂も光の速さで広まるから、成果どころか「逆効果」ばかり。「なんでそういうことするのかな」という疑問だけが強く残ります。

ある道のプロフェッショナルの方にそんな話をしてみると
「誰かの足を引っ張っても、自分が上がれるわけじゃない。もっと下に沈むだけだよ」
とさらっと教えてくれました。

多分、その方にもいろんなことがあったんだろうな。具体的には聞かなかったけれど、自分の腕と足、正しい気持ちで波を乗り越えてきた方の言葉を、忘れないでいようと思う。誰かが悔しいことや理不尽なことに巻き込まれて元凶となる相手に何かを仕掛けようと考えていたら、やんわり止める。客観的に見ると大抵の場合、「あなたが手を下す必要はない、一緒に沈むことはない」と言えるから。

堪えて忘れたから、何も失わずにいられためぐり合わせ

あの時私は度胸も知恵も無かったから、自分のお金も名誉も守ることが出来ないまま泣き寝入りをしてしまった。情けないけど、逃げていった。それでいいんだと、私が危険から立ち去るのを助けてくれた人たち、新生活を祝って、一緒に大笑いした人たちとは今でも友達です。

あの老ウエイターは現金を抱えて国境を越え、どこへ行ったんだろう。それからどうしていただろう。彼にも因果はあったのかな。もしあの時、堪えることも忘れることもできずに自分で消火器を振り回していたら、私はきっと友達も猫も仕事もビザも失って、今頃どこでどうして居ただろう。

ABOUT ME
mimi
ライター/コーディネーター。長年暮らした香港から、猫を連れて台北へ移住しました。台湾、香港、ベトナムなどで活動をしています。 詳細と連絡先はこちらをご覧ください。