「いい店たくさん知っているでしょう」
台湾と香港で長く暮らしていて、ガイドブックや雑誌の仕事もしているためか、そんな風に聞かれることが多い。
「美味しい店に連れて行って」
穴場も沢山知っていると思われているみたい。
小籠包、本当はもっと美味しい店が他にもあるんじゃない?など。
「美味しい小籠包が食べたいなら、鼎泰豊に行きましょう」
と答えると、驚かれる。「一番有名な店を勧めるなんて」と淡い失望、他にないの、もっと穴場のいいところを教えてはくれないの?と思われているのかもしれない。
私は気に入った店に通い詰める。情報収集を心がけて、常に新しい店やモノをチェックし出かけることは、ほとんどない。たまたま通りかかって気になったとか、信頼する人が教えてくれた場所、連れて行ってもらった店。そこが好きになると、通い詰める。いくつかのローテーションがあれば大変満足する。
先日、日本へ帰ったら必ず食べるものはなに?と尋ねられ「ルノアールのモーニングですね!」と答えたらひどく驚かれた。すし、てんぷらなどの答えを期待されたのかもしれない。
台湾では朝食店が豊富で選択肢は多いけれど、喫茶店のモーニングのメニュー、なによりこの大人がすっと入ってすっと出る空間は、日本独特のものだから。
探し回らなくても良いのは、私にとっては、とても幸せなことだ。
好きなもの、自分に合うもの、心地よくなるものを知っている。その場所がずっとそこにある喜び。
本当はもっといいものがあるんじゃないか。もっと新しいものがあるんじゃないか。それを知らなければ、損をするのではないか。いけてないと思われるのではないか。もっと良いものがどこかにあるんじゃないか。
そんな考えに囚われて焦り、むやみに彷徨った時期が確かにあった。そこから解放された実感に、ほっとしている。
とはいえ、新しく好きになる場所や音楽と出会うことがある。知らなかった人の魅力に触れる機会もある。探し回らなくても、偶然に。例えば夏なら、ライムコーヒーだとか。
鼎泰豊では「小籠包も美味しいけれど炒飯が最高なのよ」と説明する。するとみんな、熱意をもって炒飯も食べたいと言う。小籠包の肉汁が少し混ざった酢醤油の中の糸生姜を少し、炒飯に乗せて食べてみて。
「めっちゃうま!」
目を丸くして喜ぶ人たちを見て、ここに案内して良かったとほっとする。
この食べ方に気づいたのは、台北に遊びに来てくれた、高校時代の同級生たち。私たちが「こうやって食べると美味しい!」と盛り上がっていると、周りのテーブルの人たちも真似しはじめて「美味しい」と笑顔になっていた。
本当に楽しかったことや、喜ばれたこと、嬉しかったこと、心が休まったことを伝えられる。こんな感じでいいかなと思っている。
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