台北生活の日記

香港オーバーステイ事件簿。啓德空港で「ちょっとこちらへ」

ビザラン、ノービザと聞くと、私は昭和のお母ちゃんになって毛糸のパンツを掴んで走る

 

ノービザで海外に拠点を持ち長期間滞在する暮らし方を「ビザラン」と呼ぶそうです。90日ごとに出入境を繰り返す「ビザラン」で台湾暮らしと聞いても他の人は「ああそう…」とあまり大きな反応をしないけど、私は驚き、慄いてしまう。私自身が香港で、オーバーステイをした苦い経験のせいです。

今くらしている台湾は、わりと気楽にビザランが出来るみたいね。でも、時代も場所も違うけど、90年代初頭の香港での出来事は忘れられない。だから今でも、私はビザランの人を見ると「ノービザ?あなた大丈夫なのっ?!」と心配性を発揮します。昭和のお母ちゃんが毛糸のパンツをにぎりしめ、真冬にミニスカートで素足の女子高生を追いかけるように。

 

香港で、就労ビザ申請を「エージェント」に依頼したはずが

 

香港でワーキングパーミット、就労ビザを申請してくれる会社に採用されて、私は当時の学生ビザから切り替えをすることになった。当時は就労ビザの申請がとても厳しいと噂が噂を呼んでいて、私を採用した会社の日本人の社長は「手続きはエージェントに頼んだから」と笑顔で言った。私はその言葉を疑いもせず、緊張しながら結果を待った。なのに待てど暮らせど報せは来なくて、ある日しびれを切らして社長に談判すると「いやーそれがね、エージェントが申請忘れてたって言ってさ。君のパスポート、放置してたみたい」。

 

今の私なら「そんなわけぁねえだろ。担当者を呼んでちょうだい」と根掘り葉掘り問い詰めるけど、当時はまだ純真時代なので、単純に目の前が真っ暗になった。香港映画の1シーン、ジョイ・ウォンが路地裏を逃げていく姿を思い出す。不法に香港に潜り込みレストランの裏口でお皿を洗い続け、やっとお給金を貰えると思ったら「警察だ!」と声がする。不法就労で捕まる、早く逃げろとせっつかれ、着の身着のまま狭い路地裏を駆けながら、受け取れなかったお金を惜しむように振り向くジョイ・ウォン。あれはレストランの人たちが、彼女のお給金を横取りするために仕組んだ罠だった。可哀想にと思った。私も逃げなければいけないんだろうか。映画と現実を混同するほど、香港では日本で見たことの無い日常が街中で繰り広げられていた。「エージェント」という響きも香港ぽいと安心して任せっきり、知識不足、ぼんやりしていた自分が悪かったと思う。

 

啓德空港のイミグレーションで「ビザ切れてますよ」

 

事情はどうあれ、現実に私の香港滞在ビザは切れ、「オーバーステイ」といえばなんだか綺麗だけれど、実質「ビザ切れ=不法滞在」だと青ざめた。すぐさま日本へ帰ることにする。当時の香港啓徳空港、出境カウンターで、海關の担当者は私のビザ切れを見逃さなかった。「ちょっとこちらへ」と別室に案内される。移民局でどんな目にあうだろう。取り調べや拘置されたうえでの強制退去処分が下るんだろうか。そうなったら次はいつ、香港に戻ってこられるだろう。

 

「どうしたのこれ?ビザ切れてますが」オフィスで係員に英語で穏やかにきかれて「はい、申請を忘れてしまいました」と広東語で返すと「おっ、日本人なのに広東語話すの?」移民局のほかの担当者も、珍しがって集まってきた。「勉強中です」「そうかあ、申請忘れちゃったのかあ」「なんで忘れちゃったの?」「うーん、楽しかったから?」私が答えると担当者たちは笑って、「はい、じゃあ150ドル払ってください」「罰金ですか?」私は緊張して尋ねた。「ビザの延長費用です。本来なら移民局で手続きをしなくちゃいけなかったの」「罰金じゃないよ」私がペナルティの記録を気にしていると察して、他の人もそう声をかけてくれた。私のパスポートには「延長」のスタンプが押され、それで無罪放免だった。「ありがとうございます」緊張がゆるんでフラフラな私を「またすぐ帰っておいで、香港に」移民局の人たちは、笑顔で手を振り送り出してくれた。

 

自力で就労ビザ申請に成功

 

「エージェント」はそもそも存在せず、全て社長の嘘だったと察したのは数年後のこと。でも当時の私は、疑うことを知らなかった。とんでもない嘘つき、外国で同胞をだます日本人がいるなんて、思いもしなかった。だから私は意気揚々と再び香港に戻り、社長に「もうエージェントに頼りません!自分で書類を集めて移民局へ行き、申請します!」と宣言して自分で動き、無事就労ビザを獲得することが出来た。
当時香港にいる日本人の間に流れていた「移民局は怖い、厳しい」という噂に怖気づいたけれど、空港でイミグレーションの人たちに「香港に帰っておいで」と言ってもらえたから、自分で動く勇気を持てたのだと思う。

警察の職質。身分証無しで香港を歩けない

 

あの頃、香港の街なかで写真を撮ると、映り込むのを嫌がる人が多かった。シャイなのかしらと思ったら「いろんな事情があるから。顔を撮られたくない人も多いんだよ」と香港人の友達が教えてくれた。
不法滞在、不法就労は、香港ではわりと身近なことだった。身分証明書、IDカードを持たずに住みつき労働する人たちは容赦なく検挙される。街のあちこちを二人組の警察官が巡邏していて、身なりや挙動が不審だと判断すれば呼び止める。身分証を出せ、どういうステイタスで香港にいるのか、問い詰められる。

 

私は特に派手でもみすぼらしくもない、普通の身なりでいたつもりだけど、それでも何度か「身份証。」と呼び止められた。夜、待ち合わせの場所で友達を待っていたら知らないひとにいきなり「IDカードを出せ」と言われ、変なナンパかと思い「なんであなたにIDを見せなきゃいけないのよ?」と言い返すと、相手が警察のIDを出してきたので「おお?」と驚いた。「なんで?私が怪しいの?友達を待っているだけです」IDカードを見せながら、怒り気味に説明したら事なきをえた。可愛い仔猫を追って路地に入り、ふたりの警官に「止まれ!」と追いかけられIDカードを出せ!と挟み撃ちにされたこともある。勿論その時も、逃げも隠れもせずにIDカードを突き出した。

 

 

そういえば、香港の永住権を取った時、何人かの香港の友人たちから「おめでと。これでmimiも香港人だね」と言われた。でも、台湾で永住権を取っても、台湾の友達は「おめでとう」「良かったね」と祝福してくれたけれど、「これで台湾人だね」とは言わなかった。このことは、また別のコラムで書こうと思う。

 

出入境を繰り返して、移民局に眼をつけられないの?

 

「平気だよ」と言っていたのに入境でシャットアウトや密告で強制退去

 

香港はマカオや深圳が近いから、日帰りで出入境が出来る。それを繰り返して香港に拠点を持ち、
「平気だよ」
と笑っている人がいた。

 

私の知り合いも、そうやって数回香港と深圳を行き来していた。ある日そのひとから電話があり、いつものように深圳から香港に入ろうとしたらイミグレーションで入境を拒絶されたとひどく取り乱した声で言われ、驚いた。
「どうしよう。あとどのくらい、香港に入れないんだろう」
噂では3ヶ月は入れない、いや3年だというひともいた。明確な答えは誰にも分らなかったし、教えてもらえるはずもなかった。

移民局への密告者は誰だかわかる

 

移民局に通報されて、香港から強制退去になった人たちもいる。「通報した人物」は不思議なほど必ず特定された。誰もが、香港である程度の仕事や家庭もある人たちだった。それが正義感からの通報だとは、周りの誰も思わなかった。何かに関して「気に入らない」、意地悪やいやがらせの延長で通報されたのだなと、私も察した。そして通報した人とされた人が、香港で再会する。お互いが涼しい顔で「久しぶり」と言いながら見つめ合う、どちらも目をそらさない場面に立ち会ってしまうと、「強い」と感心しながら、膝が震えるような思いだった。

 

怖かった経験は、時代や場所が変わっても消えない。
嬉しかったこと、幸せな記憶も、どこにでも連れていける。
今となっては、香港で「突発事項にアップダウンする日々」のおかげで広東語の学習意欲があがったと思う。香港での日々が懐かしい、だからこそ台湾で暮らす「何も起こらない日々」のありがたさも、とてもよくわかる。

 

 

 

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mimi
台北在住のライター/コーディネーター。 長年暮らした香港から、猫を連れて台北へ移住しました。 台湾と香港に関する現地情報の執筆や、撮影手配などの仕事をしています。 |Instagram| |Tweitter| |Profile| |Contact|