台北生活の日記

台湾ドーナツとブラックコーヒーの午後。

家で仕事が一段落して、コーヒーを淹れる前に、ドーナツが食べたいと思い立つ。今日は慣れない言葉遣いに取り組んだせいで脳の糖分が枯渇したのだと言い訳をひねりだし、近所のパン屋へ向かう。大人になってから、ドーナツを食べる時はいつも言い訳を考えてるみたい。頑張ったから補給だとかなんとか。

 

台北の住まいの近くの通りでは、午前中に市場が立つ。野菜や果物、たまごを買って帰る途中、夫婦がふたりできりもりするドーナツの屋台にも、時々立ち寄る。ガスボンベをつないだコンロの上、大きな中華鍋でご主人がドーナツを揚げていく。ご主人が揚がったドーナツをステンレスのテーブルにざっと出すと、奥さんは素早く砂糖をふりかけ、通りに向けて見えるよう、いくつもの円をきれいに重ねて並べる。男性も女性も、徒歩だったりバイクにまたがったままだったり、子供よりも大人たちのほうがこのドーナツ屋台に引き寄せられ、まとめていくつも買って行く。

 

リング状のやわらかい、砂糖をまぶしたドーナツは、パン屋でも買える。市場のドーナツ屋台は昼すぎには終わってしまうから、台北で午後の糖分補給は、パン屋のドーナツ。

台北で並ばずにいつでも気軽に買える、パン屋のドーナツ。これはチェーンの「一之軒」の甜甜圏。

 

 

ドーナツにコーヒーをあわせると、片岡義男のハワイを舞台にした短編集を思い出す。街の古くて小さな食堂、L字型のカウンター、コカ・コーラの宣伝を兼ねたボードに並ぶメニュー。主人公の男性はたいていカウンターのスツールに腰かけて、ドーナツとコーヒーを注文する。女性が注文したのはオレンジジュースとBLT。ドーナツとコーヒーの組み合わせは男性的で、ひとりの時間が似合う気楽さと、本人は多分感じないちょっとした気難しさ、大人の自由な時間を、物語を読む私に感じさせた。

 

台湾でドーナツは「甜甜圏」。スイートリング、砂糖をまぶした丸いドーナツをうまく言い表している。香港では「沙翁」と言った。リング状のドーナツだけでなく、沖縄のサーターアンダギーのような、甘い揚げ菓子のこともそう呼んでいる。台湾と香港ではドーナツを表記も発音もまるで違う名前で呼ぶ。単語の違いに最初は戸惑いつまずいたけれど、覚えていくのは楽しかった。

 

ハワイの古い食堂で、L字型のカウンターにコーヒーと共に置かれるドーナツはきっと、昔ながらのオールドファッション。小説の中ではホイップドクリームを添えていたこともあったから、あのドーナツに砂糖はまぶしていない。中華圏で食べる柔らかいドーナツとは異なる、みっしりとした重量感、たまごと小麦粉の味、焦げる寸前の芳ばしい油の香りがするもの。わからない、もしかしたら中にたっぷり甘いジャムの入ったアメリカン・パンチの強いものかもしれない。

 

読んだ本の中に出てくる食べ物や飲み物と、何年もたってから生活や旅の中で巡り合うことがある。赤毛のアンでアンとダイアナが飲んでいたいちご水や、サガンの小説で起き抜けのマダムが手にしていたエビアン鉱泉水。当時の日本ではまだペットボトルで水を買う習慣はなくて、ミネラルウォーターなんて知らなかった。本にそれ自体に詳しい説明はなくて、登場人物と物語は進んでいくから、余計に想像力と憧れをかきたてられた。GoogleもInstagramも無い時代、本の中の見知らぬものに抱いた興味は、大人になっても忘れないのかと、台湾でドーナツを食べながら思う。

こどものころは、ドーナツには牛乳やメロンソーダなどを一緒に注文した。いま、午後の休憩でドーナツを食べる時にブラックコーヒーを選ぶと、あのハワイの物語に出てくる食堂を思い出す。何年も前に行ったハワイで見つけたレコードのことも思い出す。武道館の楽屋に差し入れたドーナツの箱。香港のレストランやパン屋で食べたいくつもの沙翁。台北の人気ドーナツ店で日本のモデルさんと嬉しそうに話していた地元の女子高生たち。母がホットケーキミックスで作ってくれたドーナツ。どこにいたのか、誰といたのか、リングのようにつながって思い出す。

 

頬よせてホノルル、1987年。中野の明屋書店で購入したと思います。

 

片岡義男.com
片岡義男さんの小説やエッセイを読むことができます。

Twitterの片岡義男.com公式アカウント様からドーナツの穴のエッセイをおしえていただきました。

 

たまにはハリッツも!

 

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mimi
台北在住のライター/コーディネーター。 長年暮らした香港から、猫を連れて台北へ移住しました。 台湾と香港に関する現地情報の執筆や、撮影手配などの仕事をしています。 |Instagram| |Tweitter| |Profile| |Contact|