台北生活の日記

「安井かずみがいた時代」謎めいた新田ジョージを探して、台北故宮にたどり着く

去年の秋、東京で何軒か書店を周り、浜松町駅に隣接する世界貿易センタービルの文教堂で、ようやく「安井かずみがいた時代」を手にすることができた。日本への一時帰国は長くて4日、あちらこちらへ出かける用事はあるけれど、この本を東京タワーが見える喫茶店で読み終えた時の満たされた気持ちは、忘れがたい。

 

安井かずみをZUZUを呼ぶひとたちが彼女のエピソードを語り、島﨑今日子が竹のようなしなやかさで描く「安井かずみがいた時代」。登場するのは林真理子、吉田拓郎、コシノジュンコ、大宅映子、稲葉賀恵、ムッシュかまやつ、金子國義、渡邊美佐…解説は山田詠美。80年代に、遠く見上げていた大人のひとたちばかりだった。

BIGIグループでフィッティングモデルのアルバイトをしていた友達から「賀恵先生が来ると、怖いわよ。でも、時々着物を着ていたりして、素敵なの」と聞かされた、デザイナーの稲葉賀恵。「渡辺プロダクション」創設者である渡邊美佐は、伝説のロカビリー・マダム。石原裕次郎が主演した「嵐を呼ぶ男」で、北原美枝がクールに美しく演じた若きやり手マネージャー・美弥さんのモデルにもなった人だ。

この本に触れると、ぐるぐると、私の知らない1960年代、70年代、80年代の空気がうごめくのを感じる。もういなくなってしまった人。ちょっと疲れた感じの人。今もそのひとのペースで生きる人。遠くにいる、怖い大人の人たち。
80年代、私はあの人達のすぐ近くのまるで違う場所で、違う世代の人たちと、違う服を着て、違う音楽を聴いていた。それでも、安井かずみが歌詞を書いた曲は別格だった。竹内まりやの不思議なピーチパイ。沢田研二の危険なふたり。キャンディーズの危ない土曜日。ドナドナ。雪が降る。

 

一度だけ、本物の安井かずみを遠目で見たことがある。
彼女の夫だった加藤和彦と高中正義、小原礼、高橋幸宏が桐島かれんをボーカルに迎えて再結成した「サディスティック・ミカ・バンド」のライブの夜、浦安のNKホールだったと思う。調べて見たら、1989年4月9日だった。
私はバックステージパスを貰って照明室に紛れ込んだかなにかして、会場全体を上から見渡せる位置にいた。開演前、安井かずみはいわゆる関係者席のあたり、それとすぐわかる華やかなグループの真ん中にいた。シャネルのスーツに、フェラガモのコンビのパンプス。遠視の私は立ち上がっていた彼女の全身がはっきりと見えたから、あの頃の、典型的な高級コンサバスタイルに「絵にかいたようだ」とちょっと驚いた。もっと驚いたのは、彼女がとても嬉しそうに、無邪気に会場をてっぺんまで見上げていたこと。私の男のバンドを観るために、こんなに大勢の人が集まっている。そのことが誇らしくて、嬉しさを隠しもしない表情が、意外だった。
内心どう思っていようと、ちょっと冷たい顔で落ち着いて、違うステージから人を見下ろすのが当たり前になっている……私は彼女に、あるいは「成功している大人の女」に、そんな先入観を持っていたのかもしれない。

 

加藤和彦とのパートナーシップが印象的過ぎて、彼女の最初の結婚相手のことは、この「安井かずみがいた時代」で初めてその存在に留意した。ジョージと呼ばれていた、新田信一。本の中で、コシノジュンコや渡邊美佐をはじめ、あらゆる人たちのインタビューに、ZUZUの最初の結婚相手、新田ジョージの話が出てくる。外国生活の長い、大富豪の息子。美術や建築、音楽にも造詣が深い。背が高く、ツイードのジャケットを着て、かっこよくて、とてもモテた、神秘的な男。

この本では、繰り返し名前やエピソードは出てくるのに、インタビューを受けていない人達の存在も浮き彫りになっている。制作時にすでに亡くなっていた森瑤子や、キャンティの女主人・川添梶子はべつにしても、コシノジュンコとともにZUZUの親友と言われた女優の加賀まりこ、ZUZUが夢中になり、曲を書き、連れまわしたともいわれる沢田研二。
彼らが「語らない」ことを選ぶのは、わかるような気がする。

学生時代からジャズバンドのマネージメントをしていた渡邊美佐は、赤坂のクラブなどを手広く経営していた新田ジョージの両親とも懇意だったという。「嵐を呼ぶ男」のやりてマネージャー、福島美弥子を彷彿とさせる。本の中のエピソードは、映画の世界が実際にあった物語なのだと急に色や匂いも伴って、目の前に迫ってくるような錯覚を見せてくれる。

ZUZUと親しい女性たちの証言とあわせて新田ジョージのインタビューを読むと、きっと、相当いい男なのだろうなと思う。それにしても、簡単じゃないみたい。うねりのような、どうしようもなく避けがたい運命と物語を抱えているひと。インタビューの最後、去り際に新田ジョージが言ったであろう言葉には、大人の男の気遣いと優しさがあった。その一言は温かく、底に近づくとひんやりする、心地よい沼のようにも感じて、恐ろしかった。中国語で言う低調ーーーひけらかさず、出たがらない人。その証拠といっていいのか、「新田ジョージ」や「新田信一」で検索をかけても、画像や報道は一切でてこない。

神秘的な人。
本を読み終わり、台北に戻ってからも、私は新田ジョージのことを考えていた。彼の父親が台湾人ということも、どこかに線が埋まっているのではないかと考えずにいられなかった。
そういえば新田ジョージの父親の名が、インタビューの中に書かれていた。新田棟一。検索してみて驚いた。
台北の國立故宮博物院へ、仏像を寄贈した人物としてのニュースが中国語でいくつかヒットしたから。

故宮博物院の特設ページ「彭楷棟先生遺贈文物特展」(日本語)

 

新田ジョージの父親の名は彭楷棟、日本名が新田棟一。新竹生まれの美術商、コレクター。2004年、358体の仏像を故宮へ國立故宮博物院へ寄贈。当時の価格で約4億元の価値といわれている。

國立故宮博物院のサイトから。彭楷棟が寄贈した東インド、9世紀の仏像。

 

中国語の報道を読むと、若い頃の彭楷棟は台湾のビリヤード場で仕事をしていたり、映画にも一本出たことがあるらしい。15歳で初めて日本へ渡り、その後台湾と行き来しながら日本人女性と結婚。日本名を持ち、赤坂などにクラブを出した実業家。
映画のワンシーンと思われる一葉の写真、時代がかった美貌の青年が新田棟一の若かりし頃なんだろうか。

マフィアとのつながりが見え隠れするアメリカの大スター、フランク・シナトラを東京に呼べる、台湾から来た男。断片を拾い集めて並べるだけで、あまりにも光と影が強い。台湾で語られる、故宮にコレクションを寄贈した彭楷棟は、まるで別の顔、別の物語みたい。
赤坂の夜の街を司る新田棟一の物語を、聴いてみたかった。

故宮の展示物は入れ替わるから、彼が寄贈した仏像が観られる時にまた出かてみよう。
故宮最重要的佛像是向一位電影明星買的

 

そういえば、安井かずみが台湾へ来たという話は聞かない。香港にも、行っただろうか?仲良しの森瑤子はあんなに香港に夢中になっていたけれど、安井かずみはヨーロッパ志向の印象しかない。中華圏は前の夫を連想させるから、加藤和彦に遠慮していたかもしれない……これは、本を読んだうえでの、私の勝手な想像。

それにしても、どうして新田ジョージはインタビューを受ける気になったのだろう?その理由も、たぶん私は一生知ることがないのだろうな…。
「神秘的でかっこいいの」
ZUZUを語るコシノジュンコや渡邊美佐がそういうのだから、それで十分かもしれない。

「安井かずみがいた時代」島﨑今日子

 

島﨑今日子さんの著書「森瑤子の帽子」も、凄みのある、光と影と風のある本だった。まだ語り部がいて間に合ううちに、島﨑さんには川添梶子の物語も聞いて、書いてもらえないだろうか…。「キャンティ物語」はずいぶん前に一度読んだだけで、何も覚えていまい。私は島﨑今日子さんの描く川添梶子を読んでみたい。

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mimi
台北在住のライター/コーディネーター。 長年暮らした香港から、猫を連れて台北へ移住しました。 台湾と香港に関する現地情報の執筆や、撮影手配などの仕事をしています。 |Instagram| |Tweitter| |Profile| |Contact|