台北のとあるオフィスビルのエレベーターで、そのビルの社長と二人きりで乗り合わせてしまったことがある。
彼は白髪をきれいに撫でつけ、スーツの背筋もしっかり伸びたダンディな姿、なのに手にはひのきの丸い桶を持っていた。
お風呂帰り?それとも、お豆腐が売り切れて手ぶらで帰って来た?
思わず顔がほころんでしまったけれど、先方は私のことなど知らないから尋ねることはできない。私はただ「總經理您好」と挨拶をした。
「您好」
と渋い声を返してくれた社長は、マスクをしていた私に
「風邪ですか」
と尋ねてくれた。もう何年も前、エレベーターに乗る時マスクをしなければいけないルールは無かった頃だった。
「はい、少し」
すると社長は
「水を沢山飲みなさい」
と言い、私ははいそうしますと素直に答え、先にエレベーターを降りた。
台湾でも香港でも、ちょっと体調がすぐれない時や肌が荒れている時に
「水を沢山飲みなさい」
と言われることがある。
それほど親しくはない、ほとんど初対面の、かなり年下の女の子が眉をひそめて「水を沢山飲むべきです」と言った時も、私は嬉しくなって、笑ってしまった。彼女もきっと、家族や周りの人からそう言われて来たのだろうな。その知恵を惜しげもなく、年齢や関係性に躊躇せず、子供に諭すような口調で教えてくれる。
台湾は外出や外食も制限されずほとんど自由に過ごすことは出来る。コロナごもりというほどでもないけれど、ここ数日はお腹も頭もすっきりしなくて、ぼんやりした体調を持て余していた。
外仕事が続く時は必ず水のボトルを持ち歩き、合間に飲みながら働いていた。そのリズムが崩れて、コーヒーやお茶ばかりに頼っていたのかもしれない。
台湾で手軽に買える水の中で、このアルカリイオン水をよく選ぶ。一本30元未満、コンビニだと二本買えば割引になることも多く、値段も手ごろ。もっと手ごろな蒸留水だと、水の味が喉に引っかかる。欧米から輸入のミネラルウォーターはそれぞれ独特な風味が感じられるので、気分で飲んだり飲まなかったり。
このアルカリイオン水は引っ掛かりも癖もなく、無難。台北に長く暮らす友達も、これが一番楽だと言って選んでいた。これといった主張はないけれど無難で楽、そういう水が一番良いかな。
朝起きぬけに、コップになみなみと一杯。
するとどうでしょう。
その日からめきめきと体調が良くなり、ぼんやりした感覚が抜けた。
足マッサージの時にも、老廃物を流すために水を沢山飲んでくださいと言われる。
これといった特別なことではない、とても簡単なこと、
「水を沢山飲みなさい」
何年もあちこちでいろんな人から言われた言葉の真実味を、今さら実感している。