「九龍をクーロンと言うのがどうしてそんなに気持ち悪いの?」尋ねられて考えました。クーロンが浸透した理由は、あっけないほど簡単。気持ちは悪い、でも大事なのは相手に伝わること、言いやすく覚えやすいこと。
「日本が大好き、京都へ何度でも行きたい」
と言う外国人が、「KYOTO」を「キヨト」と発音するのをよく耳にします。
地名を現地語の発音で正しく言うのは、外国人には難しい。ローマ字表記をどう読むか、そもそも「きょ」という発音に慣れていない場合もあるでしょう。でも東京を「トキオ」と読むのは80年代くらいまでかな。今は「トウキョウ」と言う人が多いように感じます。
ところで香港の「九龍」について。英語でKowloon、広東語はガウロンで中国語ではジウロンなのに、なぜ日本では「クーロン」が定着してしまったのでしょうか。
※2024年3月24日追記あり
Contents
九龍=カオルーンを「クーロン」とよぶ呆気ない理由
九龍=カオルーンを日本では「クーロン」と呼ぶのが定着した理由には諸説あるようですが、いずれも1960年代や70年代のエピソードでした。私が意識したのは1988年の香港映画「警察故事續集 ポリスストーリー2」。「九龍の眼/クーロンズ・アイ」とついた邦題が、日本に九龍=クーロンと定着させる大きな影響を及ぼしたと思っています。
そうはいっても日本人向けの真っ当なガイドブックや政府観光局では「カオルーン」表記を徹底しているのに、なぜこうも「クーロン」が浸透してしまったのでしょう。
「クーロン城へ行ってみたい」「クーロン・サイドに泊まる」と聞くたびに気持ち悪がる私に友達は困惑して
「でも日本人にはカオルーンって、言いにくいよ。ガウロンなんてもっと無理、クーロンのほうが楽。」
と言いました。
言いにくいのか!
特に深い理由、誰かの陰謀、そんな複雑なものではなくて、単に「カオルーンは言いにくい。クーロンのほうが言いやすい」
呆気ないほどシンプルな理由だったのか……。
そう腑に落ちてからは、全然悪気の無いひとに対して
「クーロンなんて発音は広東語でも國語でもないし、香港にクーロンなどと言う場所は無いのに。気持ち悪いわー」
と気持ちがいきり立たないように気を付け、「我慢」をしています。気持ち悪いのは治りません。でも、「クーロン」という発音を気持ち悪いと感じるのは私の個人的な好悪だし、多勢には理解されない思い入れでしかありません。
餃子はギヨザ。相手に「伝わる」ことが大事
話している相手に「なに」や「どこ」を、正確に伝えるのが一番大切。
ドイツ語を教えてくれた日本人の先生の一言も、考え方を変える大きなきっかけになりました。
「たとえば、餃子をギヨザと言うのは日本人には抵抗があるかもしれません。でも、ドイツ人とドイツ語で話すなら、GYOZAをギヨザと発音したほうが、いきなり日本語のネイティブな発音で言うより、餃子と伝わりやすい場合がある。大切なのは、相手に通じることです」
日本語の発音を敢えてヨコ文字っぽく言うのはこそばゆい。そんなテレよりも、相手に通じるように話す気遣いを優先するべきなのだと教えてもらいました。
そういえば、ドイツ語では台北をTaipehと表記することがあります。
なぜタイペーなのかわからないけど、ドイツの発音ではそのほうが通じやすいのでしょう。
「台北はTaipei!たいほくでもタイペーでもありません。正しく発音してくださいッ」
と癇癪を起こすのは詮無いこと、「現地で通じるならいいじゃん」となります。
香港のツアーガイドも、日本人旅行者に日本語で案内する時「クーロン」と言っていました。「日本人にはそれで九龍と通じるから」と。
九龍=クーロンは、エセ関西弁を聴いて能面になるあの感じ
「九龍をクーロンというのが、なんでそんなに気持ち悪いの?」
単純に興味を持って、質問してくれた友達がいます。
本当に、なんでだろうねえ。発音が生理的に無理、なんかダメ、間違いが幅を利かせているのもイライラする。そんな言い草では
「アタクシは現地事情も正しい発音も知っている!無知の民どもよ、直してやるから良くお聞き!」
頼まれもしないのに斜め上のバルコニーによじ登り、人を見下ろして叫んでいるいかれた人みたい。ただ、首をはねておしまいと成敗したがっているスペードの女王ようです。
でも、どのくらい気持ち悪いと感じるかだけは伝えようかと思い
「エセ関西弁を聞いたときの、あの感じかしら」
と説明すると
「ああー!それか!」
と理解はしてもらえました。
「非関西人」がしゃべる「エセ関西弁」を聞いて、耳の中がふるっと震えて背中が総毛だつ、考える前に感じてしまうあの感じ。生粋の関西の人が「関東風にしゃべれる」と主張してからぎこちなく「なんとかじゃん?」「なんとか、しなよ?」と言う時の可愛らしさや愉快さとは全然違う、あの感じ。エセ関西弁を聞いて能面になる人たちの表情、ぞっと総毛だつのを我慢している気配は、私が九龍を「クーロン」と呼ぶのを聞いた時とほぼ同じだと思います。
「その感覚はわかる。でも、自分はクーロンと聞いても特に何とも思わないから、まあ同情しとく」。友達にはあっさり笑われてしまいました。
台湾で、日本人に「カオルーン」は浸透しないと悟る
私個人では、香港にいた頃、日本人から「クーロン」と聞くたびに地道に訂正をしてきました。「気持ち悪い」という個人的な感情は別にして、正しい名称を覚えておいた方が、万が一の時に問題を回避できると考えたからです。
たとえば九龍酒店の宿泊を
「クーロンホテルに泊まっています」
と言われたら、嫌みにならないように気を付けながらやんわりと
「カオルーンホテルですね」
と返せば
「はい、カオルーンホテルです」
と答えてくれる人がほとんどでした。
「クーロンホテル」と言っても現地では通じません。タクシーに乗って「クーロン・ステイションへ」と英語で言っても「はあ?」と返され、通じない可能性が高いです。万が一の緊急事態の時に備えて、なんとなくでもいい、正確な名称を記憶にとどめておいてもらえたら…と願っても、現地の読み方で返すのは嫌みったらしいだろうか。香港に数日滞在するだけの方には、余計なお世話かなと考えたりもしました。
でも、台北に移り住んでから、いちいち訂正するのは詮無いことだと思い知りました。台湾で暮らす日本人の友達や知り合い、
「香港大好き!」
と言ってはばからない人でさえ全員が全員、九龍を中国語の発音で「ジウロン」、もしくは日本風に「クーロン」と発音するからです。
広東語と台湾の中国語、発音の違いはあっても、中国語を話す人にも「カオルーン」は覚えにくく、言いにくい。日本人同士なら、九龍はクーロンで通じる。この先も、日本で日本人にカオルーンが浸透することはないだろう。台湾で思い知り、絶望し、悟るにいたりました。
クーロンの初出は邱永漢氏の直木賞受賞作品「香港」か ※2024年3月24日追記
先日、今更ながら邱永漢氏の「香港」を読んで、
「あなただったんですね」
と腑に落ちました。
昭和30年、1955年に直木賞を受賞したこの作品は2ページめでもう九竜に「クウロン」ときた。油麻地に「ユマティ」だの中国語の会話に広東語風のルビなど、今の私個人の感想では
(ないわー、編集者もチェックせいや)
(誰もわからんから思って、やりたい放題かい)
と苦々しさが次から次へと湧き上がる。でも、今でも難しいのに当時に広東語で、香港の現地語を日本語の片仮名でどう書くかは、確認のしようがなかったかもしれません。
当時、台湾から香港へ渡った人たちの言語ベースだと、九龍は九竜でクウロンとしか発音するほうが楽だったのかな。現代の台湾に暮らす日本人の中国語話者も、「カオルーンもガウロンも覚えにくい、発音しにくい」と感じるように。
そう頭の中で整理をしても、私は香港の広東語から入ったものだから「クウロン」や「ユマティ」を目にするたびにどうしようもなくぞっとするのです。髪が逆立つような、一瞬目を閉じて息を止めてやり過ごさなければならないような気持ち悪さは、この作品を読む間中にずっと続きました。
でも、それを差し引いてもなお、邱永漢氏の「香港」は面白かった。
あんな終わり方でさえ、とても面白かったです。
やりたい放題、言ったもの勝ち。
香港そのものじゃねえか。
そんな時代のひとのエネルギーを、つけられたルビに感じます。
楽しく飲んでいるときに「ビールの本場ドイツでBeerはBierだしそもそもビールだなんて発音しない、そんなの通じませんよ?気持ち悪い」なんていう人がいたら、「どうした?飲み足りてないのか」と心配になりますよね。
話している相手に通じるよう、言いやすく、覚えやすい言葉で伝える。それが一番大切。
香港から台湾に来て数年たち、クーロンと聞いて気持ち悪いと反射的に感じても
「カオルーンもガウロンも、日本人には覚えにくい、言い難いのだから仕方ない。それよりも、どこの、何の話しをしているのか伝わる、通じるのが一番大事」
と思い出すようにしています。
そうすれば、反射的に「気持ち悪い」と思ったとしても、落ち着くことはできます。我慢かもしれない。でももう、いちいちああだこうだ言わなくても済むようにはなりました。
当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用、まとめサイトへの転載も固くお断りします。
Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited.
本站內所有图文请勿转载.未经许可不得转载使用,违者必究.