新型コロナウイルス肺炎で後手後手になり、取り返しがつかなくなる前に。2003年SARSの発生から拡散、終息までの香港の日々を時系列にまとめ
新型コロナウイルス肺炎の感染拡大。1年で一番活発になる民族の大移動時期、春節を迎えて、世界中が対策を行っています。
Apple Daily(蘋果日報)のSARSに関する特設ページ 「沙士15 – 疫情大事記」を参考に、2002年11月に中国で発生、2003年2月に感染源となる男性が中国・広州から香港に入って拡散、2003年6月に終息するまでの流れをまとめました。
2019新型コロナウイルスと違うのは、春節の大移動時期とは重ならなかったこと。
隠ぺいと情報不足、後手に回った対応で感染被害が広がったことを、教訓にしなければなりません。
私は当時香港に住んでいたので、その頃の出来事も、時系列以外のメモに付け加えました。
香港のSARS感染者1755人、299人が死亡。経済損失534億円
2002年末から2003年にかけて中国から持ち込まれ、香港で流行した「SARS」による感染者は1,755人、うち386人が病院関係者。299人がなくなり、経済的損失は38億香港ドル(約534億円)にのぼった。
SARSの発生から終息までの時系列
2月初旬「感染はコントロールされている」「通報は必要ない」
2002-11-01
中国・佛山で最初の発病
2003年の春節は2月1日。
当時はまだ、中国から香港や日本への渡航は制限があった。
2003-02-09
中国・広東省の広州、深圳、珠海、東莞にも感染拡大。
市民はお酢や漢方薬「板藍根」を飲んで予防。国家衛生部チームが広州視察。
2003-02-10
広州省衛生庁と広州市政府が記者会見、非定型肺炎であることを公布したものの、患者はごく少数とした。また、広東省衛生庁はマスコミに対し、「非定型肺炎は国家が定める伝染病にはあたらないので、通報の必要はない」と語った。
2003-02-14
国営通信社「新華社」は、「広東省の感染はコントロールされている」とした。
2月下旬 感染はホテルから病院、集合住宅へ拡散
2003-02-21 九龍のホテル宿泊者に拡散
香港でSARSを拡散した中山医科大学付属二院の劉劍倫教授が広州から香港入り。九龍サイドの「京華國際酒店(メトロパークホテル)」911号室に宿泊。 翌日病状が悪化し、佐敦の「廣華醫院」に入院、集中治療を受けるが、3月4日に死亡。
その後衛生署が感染を確認した7人の感染者はいずれも同ホテルに宿泊しており、うち1名の男性は新界・沙田にある「威爾斯親王醫院(プリンス・オブ・ウエールズ・ホスピタル)」の院内感染源となる。
2003-03-10 医療関係者や入院患者に拡散
沙田「プリンス・オブ・ウェールズ・ホスピタル」8A病室の医師や看護師、病人が相次いで発熱や肺炎の徴候を発症。同病院は病室を封鎖した。その後、医療関係者50人、医学生17人、入院患者28人、8A病室を訪れた見舞客42人のSARS感染。
3月15日に8A病室に入院していた患者が、その後九龍サイドでパニックを引き起こした「淘大マンション」の感染源となる。
3月上旬 香港政府「市内には拡散されていない」休校指示なし、学校が独自判断
2003-03-13 衛生福利局「市内には拡散されていない」
当時の衛生福利及び食物局(Health, Welfare and Food Bureau)の楊永強局長は「非定型肺炎感染は主に病院スタッフと患者の家族で、市内には拡散されていない」とした。
2003-03-22
香港大学医学院が肺炎の病原体をつきとめる。新型ウイルスとして呼称は未定、WHOへの提示と確認を必要とした。
3月下旬 淘大パニック。マンション封鎖
2003-03-26 集合住宅で感染拡大 休校は学校判断
感染はさらに拡大。九龍サイドの集合住宅「淘大マンション」E棟で、5家族、14人が感染。「淘大パニック」が起きた。
当時の教育局李國章局長は香港全域の休校を実施せず、200万個のマスクを学生に配布。独自の判断で休校にする学校が増加する。
2003-03-27 重症急性呼吸器症候群 新型コロナウイルス肺炎と断定
香港政府は休校、自主的な隔離指示
香港大学医学院微生物学科は、この非定型肺炎は新型であり、人から人へ伝染するコロナウイルスであると断定。アメリカ疾病予防センターも、「重症急性呼吸器症候群 コロナウイルス肺炎」と確認した。
当時の香港行政長官董建華は香港内全ての学校を3月29日から9日間休校と公布。また、《検疫と防疫條例》に基づき、患者と濃密に接触した市民は指定の診察所への報告と検査を行い、できるだけ屋内に留まる自主的な隔離を指示。違反者には罰金5000香港ドルと6ヶ月の禁固刑が科せられる。
3月26日~30日には、香港スタジアムで 毎年恒例の7人制ラグビー国際大会「香港セブンス」を予定通り開催。
私は当時、香港で旅行会社に勤務していたので、香港での観戦予定を「どうしよう」と相談を受けることが多かった。
セブンス観戦以外、旅行自体のキャンセルは増加、その後、香港を訪れるツアーのお客様はゼロに。
2020年の香港セブンズは4月3日~5日開催予定。
2003-03-31 1日で感染80人、マンション封鎖
これまでに最多、1日で80人の感染が確認される。
政府は「淘大マンションE棟」を4月1日から封鎖すると公布。
2003-04-01 マンション住民隔離
「淘大マンション」住民が新界・西貢、九龍・鯉魚門のリゾート施設に隔離される。
この日、歌手で俳優のレスリー・チャン(張國榮)が自死。
だんだんと濃くなる墨のような不安に取り巻かれていた香港の春、レスリーの死の報せを受けて、真っ暗闇になったような気がした。
4月初旬 WHOが渡航注意喚起、香港をSARS感染地域に指定
2003-04-02 WHOが渡航注意喚起
WHO(世界保健機関)は香港及び広東省への渡航注意喚起を発令。
4月5日(土)は中華圏の大事な祭日、清明節。香港ではそれに続くイースターホリデーの連休があった。
2003-04-09 解放軍軍医が当局の隠ぺい告発
北京解放軍301醫院のベテラン軍医蔣彥永氏がアメリカの《TIMES》誌に署名入りで当局による感染の隠ぺいを告発。
2003-04-15 香港、SARS感染地域に指定
WHOが正式に香港を「SARS感染地域」に指定。
2003-04-17 「淘大マンションパニック」の原因
政府は集合住宅「淘大マンション」の感染源を中国・深圳に居住し腎臓病を患う男性と確認。男性は「淘大マンション」E棟、中層階の弟の家を訪れた期間中、下痢の症状でこの家のトイレを使用した。E棟で使われている排水溝のU字部分が乾き、ウイルスを含む便の「Droplets」を引き起こしたため、汚染された空気が流動、E棟住民のみならず、他棟にも感染が拡大した。この日までに「淘大マンション」の感染者は321人、うち8人が死亡している。
2003-04-22 授業再開
香港全域の学校が授業再開。学生はマスクをつけ、体温を測ることが義務づけられる。
2003-04-25 授業再開4日で学生11人が感染
授業再開からわずか4日で、11人の学生のSARS感染が確認された。
4月下旬 医療関係者の殉職相次ぐ
2003-04-26 看護師男性が死亡、初の医療関係者殉職
新界・屯門医院の男性看護師が仕事中に感染、4月26日に死亡。医療関係者で初のSARSによる殉職。
2003-05-02
中文大学医学院が、コロナウイルスは人から人へ感染する間に変異しており、すでに4種類の変種があることをつきとめる。
2003-05-13 医師の殉職
新界の屯門医院でSARS患者の治療にあたっていた胸肺科主任、謝婉雯医師が感染後、殉職。
屯門医院には、感染の可能性を隠して診察を受けに行った男性が感染源になったと当時ニュースで見た記憶があります。
2003-05-15 病院アシスタント女性が殉職
九龍のユナイテッド・クリスチャン・ホスピタルのアシスタント女性がSARS感染、死亡。
2003-05-23 野生動物から人への伝染
香港大学と中国内地の専門家は、ハクビシンの体内にSARSを引き起こすコロナウイルスを発見。ウイルスは野生動物で変種し、人に伝染したと確信する。
5月下旬 終息へ向かいながら、殉職者は増加
2003-05-24 感染者ゼロに
香港で感染が始まって以来初めて、医療関係者や市民の感染者がゼロに。
2003-05-27 病院アシスタント女性が殉職
ユナイテッド・クリスチャン・ホスピタルのアシスタント女性がSARS感染による殉職。
2003-05-31 個人診療所の医師も殉職
プリンス・オブ・ウェールズ・ホスピタルの病室スタッフがSARS感染による殉職。
耳鼻喉科の個人診療所でSARS患者の診察にあたった医師が感染、クイーン・メアリー・ホスピタルで殉職。
2003-06-02 医療関係者の殉職、8人に
新界・大埔医院の女性医師がSARSに感染し殉職。香港の公立病院で6人、私立・個人病院の医師2人が殉職した。
2003-06-23 WHOが感染地域から香港を解除
午後3時、WHOは香港をSARS感染地域から正式に解除。
香港でのSARS感染者は1,755人。
うち386人が医師や看護師、病院関係者。
SARS感染による死者、299人。
殉職者8人。
6月23日 終息を知らせる機内アナウンスに、拍手と安堵
5月末には感染者ゼロの日が続き、感染の恐れは薄れていたものの、私は勤務先から無休休暇取得を推奨されていた。
旅行不振の中、航空会社から旅行業界向けに投げ売りのような激安チケット(確か500香港ドル)が出たのでバリ島へ行き、6月23日、帰りの飛行機の中で「感染地域解除」のアナウンスを聴いた。
マスクをしていた乗客が一斉に拍手し、安堵の声を上げ、マスクをかなぐり捨てた機内の様子を、覚えている。
その後もしばらくは旅行業は厳しかった。給料カット、リストラ。何人かが職場を離れていった。でもみんな、今もちゃんと生活をしている。金銭や仕事面で厳しいのは一時的なことだった。その渦中は勿論、とても苦しかったけれど。
拍手と安堵の声が聴こえる日を迎えられるよう、対策、対応、自分の身を守ることを忘れないでください。
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